10月1日、アントニオ猪木が亡くなった。享年79歳。昭和に子供時代を過ごした筆者ら世代の男性にとって、アントニオ猪木はヒーローだった。当時、プロレスはテレビのゴールデンタイムで放送されており、ジャイアント馬場とタッグを組んで外国人レスラーを倒すアントニオ猪木は輝いていた。どこか動きが緩慢なジャイアント馬場と比べて、アントニオ猪木は、リングアナに紹介されときのガウンを脱ぐ颯爽とした動き、ゴングが鳴り、相手との間合いをはかりながら、瞬時に相手の懐に飛び込む切れ味鋭い動きなど、カッコよさでは、断然、アントニオ猪木が勝っていた。彼のキメ技であるコブラ・ツイストや卍固めなど、小学校の休み時間、クラスメートと技を掛け合って遊んでいたものだ。
その後、アントニオ猪木は、ジャイアント馬場と袂を分かって新日本プロレスを立ち上げる。そこでも彼はファンを楽しませてくれた。
サーベルを振り回すタイガー・ジェット・シン、強烈なウエスタン・ラリアットの使い手スタン・ハンセン、〝人間山脈〟と呼ばれたアンドレ・ザ・ジャイアント…等々、個性的な外国人レスラーと対戦し、最初は苦戦しながらも最後にはキメ技で劇的に勝利を収めるアントニオ猪木の戦う姿に、当時の我々は、それがつくりものであると分かりながらも、熱烈に支持し喜んだものだ。
それは、たとえて言うなら、ウルトラマンの世界だ。ウルトラマンは、毎回(毎週日曜?)、違う怪獣と戦い、最初は苦戦しながらも、最後はスペシューム光線で相手をやっつけていた。アントニオ猪木の試合でいえば、ウルトラマンは当然、彼だし、次から次へと現れる怪獣はタイガー・ジェット・シンやアンドレ・ザ・ジャイアントなどであり、スペシューム光線はコブラ・ツイストや卍固めだろう。
今日、そんなショー的なプロレスへのアンチテーゼである真剣勝負の格闘技イベント、RIZNやK-1などが大晦日の定番であるが、かつてのような圧倒的な人気はない。真剣勝負ならではの迫力は感じるが、カリスマ的なヒーロー、個性的なヒール・レスラー、お約束事のキメ技などがないので、観客と一体になった華やかさに欠ける。
この構造はどこかスパイ小説にも似ていないか。アントニオ猪木の試合は、つくりものだと分かっていても、ハラハラ・ドキドキさせられ、最後にカタルシスが味わえる007シリーズやミッション・インポッシブル・シリーズだろう。一方、真剣勝負のRIZINやK-1は、一部のマニアだけから支持されるジョン・ル・カレなどのシリアス型のスパイ小説というところであろうか。……往時のアントニオ猪木の思い出して、そんなことを思った。