スパイ小説の書評をアーカイブとしてまとめるにあたって悩んだのが、どのような順番で載せるかということだ。単純に書評を書いた日付順に並べるのでは能がない。本サイトはスパイ小説のブックガイドでもあるので、読者にとって分かりやすく、かつ好みの作品が検索しやすい分類方法に則して並べるのがよい。
その点、ミステリは「はじめに」で少し触れたように、確固たる分類(サブジャンル)が成立している。不可解な事件の謎を名探偵が調べて、最後にそのトリックと犯人を解き明かす「本格派」。犯人は最初から分かっていて、探偵が犯人のつくりあげた鉄壁なアリバイを崩していく「倒叙もの」。謎解きよりも、タフガイな探偵の捜査模様を乾いたタッチで描く「ハードボイルド」。主人公が陥った危機的状況やそのことによる主人公の不安や切迫した心理状態を描く「サスペンス」。法廷を舞台に、主人公である検事又は弁護士が被告人の犯行もしくは無実を立証する「法廷もの」。主人公は素人の探偵ではなくプロの警察官で、彼らの捜査活動や彼らが勤務する警察内部の人間模様を描いた「警察小説」。松本清張の作品によって拓かれた国家や組織の犯罪を暴く「社会派ミステリ」等々―これらがミステリの一般的な分類であり、多くのミステリ・ガイドもこの分類方法に則っている。
一方、スパイ小説には、このような分類がない。なければ自分で考えるしかない。そこで、色々と分類方法を検討してみた。
(1)冒険活劇型とシリアス型
まず、最初に思いつくのが、この分類方法である。
石川喬司は『夢探偵』(前掲)の中で、スパイ小説を「マジメ・スパイ小説」と「アソビ・スパイ小説」に大別している。前者は「冷戦あるいは核戦略下の現実をリアルに反映して、ノンフィクション的な題材を〝組織と人間〟ふうに味付けしたシリアスな作品群」をいう。ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』に代表されるシリアスなスパイ小説がこのタイプである。一方、後者は「世界の危機状況を戯画化して、その中でスーパーマン的な主人公を活躍させる徹底した娯楽作品群」であり、ジェームズ・ボンドが八面六臂の活躍を見せる007シリーズのような冒険活劇型スパイ小説がこのタイプである。
ところで、次のような作品は、どのように考えたらよいのだろうか。例えば、冒険活劇型スパイ小説とシリアス型スパイ小説の中間のようなマイケル・バー=ゾウハーの『パンドラ抹殺文書』(1980年)、少年のスパイごっこが思わぬ悲劇を招くマイケル・フレインの『スパイたちの夏』(2002年)、夫がソビエトのスパイだったことを知らせされた、ある主婦の姿を描いたレジナルド・ヒルの『スパイの妻』(1980年)など、これらの作品は冒険活劇型なのか、シリアス型なのか判断に迷う。さらには、G・K・チェスタトンの『木曜日だった男』(1908年)やコリン・ウィルソンの『黒い部屋』(1974年)のように、どちらのタイプにも属さないものもある。この二つの作品は、対象とする社会へ潜入し、その実相を探ることのメタファーとしてスパイ小説の形を借りた作品であり、この分類では整理できない。
このようにスパイ小説を、冒険活劇型とシリアス型の二つで一律に分類することは難しいうえ、そもそも100編のスパイ小説を、たった二種類のカテゴリーだけで整理しても、果たして、それが分類といえるのか疑問である。
(2)時代を切り口とした分類
「スパイ小説の歴史」でスパイ小説の歴史を概括したが、その中に欠落している一群がある。それは、いわゆる〝ナチスもの〟と言われる、ナチス・ドイツを敵役としたスパイ小説だ。
彼らが暗躍した第二次世界大戦当時、人々は現実の世界でナチスの恐怖に晒され、とても、それを娯楽として楽しむ余裕はなかった。また、イギリスで捕まったドイツのスパイを連合国側に寝返らせて、彼らを通じて偽装情報をドイツへ流す「ダブルクロス作戦」などは、スパイ小説の格好の題材であるが、大戦当時、一部の関係者を除いて、誰もその作戦を知る者はいなかった。従って、これについて描ける作家はいなかったし、仮にいたとしても、トップシークレットであっため、書くことは許されなかったであろう。ナチスのスパイとの戦いを描いた作品が発表され、読者がそれを楽しむことができるようになるのは、大戦が終了し、一段落(1950年代以降)してからでないと、難しかったのである。
このことから、スパイ小説を「時代」という切り口で分類する場合、作品が発表された時代ではなく、その作品で描かれている時代で見ていくのが妥当であろう。しかしながら、この方法においても課題がある。たとえば、ウィリアム・ボイドの『震えるスパイ』(2006年)、チャールズ・カミングの『ケンブリッジ・シックス』(2011年)、エフタ・ライチャー・アティルの『潜入―モサド・エージェント』(2013年)のような過去と現代が交互に描かれるタイプの作品、あるいはジョン・ル・カレの『パーフェクト・スパイ』(1986年)のような、一人のスパイの生い立ちを追った作品などは、どの時代に当てはめたらよいのだろうか? また、実際に「時代」を切り口にして分類しようとした場合、圧倒的に冷戦時代―それも1950年から60年代―を舞台とした作品が多く、この時代を一括りするのは大掴みすぎるし、また、この時代の作品数が突出していて、「分類」という観点からみると、バランスを欠く。
(3)敵対勢力による分類
スパイ小説における敵役といえば、何といってもソビエトのKGB。冷戦時代に発表された、又は冷戦時代を舞台にしたスパイ小説の敵役のほとんどがKGBである。極めて狡猾に相手組織内に潜入し、また裏切り者に対して執拗で苛烈を極める様は、まさに敵役たるに相応しい。
KGBが敵役の横綱なら、大関はナチスであろう。第二次世界大戦時を舞台にしたスパイ小説の敵役として、ナチスは定番だ。ナチスのスパイが登場する小説の面白さは、主人公であるイギリス人やアメリカ人と、敵役のドイツ人が同じアングロサクソン民族であり、外見や文化、宗教もほぼ同じであるということ。スパイ(小説)にとって重要なことは、誰がスパイであるか分からないことである。味方と敵が似ている=同格(力関係だけでなく、見かけ、行い、考え方、社会的背景も含めて)であるからこそ、そこにゲーム的な面白さが生じるのだ。
その他の敵役として、ブライアイン・ガーフィールドの『ホップスコッチ』やジェームズ・グレイディの『コンドルの六日間』などのように、主人公の所属する組織自身(CIAなど)が敵役となるケースがある。これらは、ウォーターゲート事件をはじめ、これまでベールに包まれていたCIAの陰謀が次々と明るみになったデタント時代ならではの、時代の申し子的な敵役といえよう。
また、最近のスパイ小説ではあまり見かけなくなったが、007シリーズにあやかって、1960年代にアメリカでテレビ放映されたスパイ・ドラマ(0011「ナポレオン・ソロ」シリーズや、「アイ・スパイ」シリーズなど)のノベライズ作品では、実在する敵対勢力ではなく、世界制覇を狙う架空の組織が敵役として描かれていた。
そして、9.11同時多発テロ以降は、当然ながら、イスムラム過激派が敵役として描かれるようになった。彼らを敵役としたスパイ小説は、イデオロギーの対立ではなく、民族対立というポスト冷戦時代の国際社会を象徴したものである。さらに、米中の対立が高まる〝新冷戦時代〟の今日、チャイニーズ・スパイがスパイ小説の新たな敵役になるであろう。しかしながら、彼らイスムラ過激派や中国人を敵役とした作品はそれほど多くない。先ほど述べたように、敵と味方の見分けがつかないところがスパイ小説の面白さの肝であるので、欧米人と容姿が異なる彼らよりも、KGBやナチスが敵役になっているスパイ小説の方が俄然、面白さでは勝る。
そのためであろうか、スパイ小説を「敵役」で分類しようとした場合、ほとんどがKGBかナチスになってしまう。この切り口で分類するのも、やはり無理がありそうだ。
(4)スパイ活動による分類
これまで自分が読んできたスパイ小説をもう一度、振り返ってみる。自国の組織内に潜むモグラを暴くもの、逆にスパイとして敵国へ潜入するもの、偽装亡命を扱ったものなど、主人公の置かれた立場によって、スパイ活動のミッションも異なる。そこで閃いたのが、スパイ活動の内容そのもので分類する方法である。
『世界の諜報機関FILE』(2014年 学研マーケティング)では、スパイ活動を次のように分類している。
〇防諜/カウンター・インテリジェンス:敵国スパイの潜入や工作から自国を守る活動
〇潜入・侵入:スパイ活動の基本ともいうべきもので、敵勢力の支配地域や組織内に長期的に入ることを「潜入」、建物や敵地域に短期的に忍び込むことを「侵入」という。
〇暗殺:主に政治的・宗教的・実利的理由で要人を殺害すること。殺人との違いは、殺害理由が私的なものでないことである。
〇情報操作:国家が意図的に偽情報を流すこと。
また、『世界のスパイ 秘密ファイル』(グループSKIT編著 2010年 PHP文庫)では、暗殺だけでなく、破壊工作、暴動の扇動、要人の誘拐などもスパイ活動の汚れ仕事(「隠密作戦」)として挙げている。
なお、これらの活動は厳密に線引きできるものではない。たとえば、敵の勢力圏に「潜入」して、敵の計画を阻止する「工作」などは、両方の要素を兼ね備えている。また、色仕掛けによって相手の弱みを握り、スパイに仕立てるような活動は、この世界では、ままあることだが、右の活動分類では特定しづらい。このため、筆者は「活動」を分類の基本的な切り口としつつも、その作品をシンボライズするテーマやキーワード(たとえば、「逃亡」や「スパイになる動機」など)も項目に加え、次のように分類した。
1.防諜
1-1 スパイ探し
1-2 スパイを捕まえる
2.潜入(目的)
2-1 情報の入手
2-2 計画の阻止、連れ出し
3. 潜入(形態)
3-1 亡命
3-2 替え玉
3-3 モグラ、スリーパー、第五列
4.破壊工作・暗殺
5.情報操作
6.逃亡
7.動機
7-1 裏切り
7-2 復讐
8.総合
以下、夫々について説明する。
1.防諜
敵国スパイから自国を守る防諜活動は、スパイを「見つける」こと及び見つけたスパイを「逮捕する」ことであるが、作品によっては後者の活動を含まないものもある。そこで、前者と後者を次のように分けた。
1-1スパイ探し
文字通り、組織内に潜入している敵のスパイを探す作品である。ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー・スパイ』のような、組織として行う防諜活動を描いた作品は勿論のこと、マイケル・フレインの『スパイたちの夏』のように、少年がある人物をドイツのスパイだと疑って探偵のまねごとをする作品なども、この範疇に入れた。
このタイプの作品の魅力は、「スパイ小説の魅力」で述べたように、敵国のスパイが潜んでいるかもしれないという疑心暗鬼と恐怖、そして、それを探って暴き出すフーダニット型ミステリとしての面白さである。
1-2 スパイを捕まえる
<スパイ探し>はスパイが誰か分からず、それを探るのに対して、こちらはスパイが誰か分かっていて、そのスパイをいかにして逮捕するかに主眼が置かれたものである。
中国情報部へ潜入しているKGBの二重スパイの逮捕を描いたジョン・ル・カレの『スクール・ボーイ閣下』、英国秘密情報部の積年の宿敵であるKGBの工作指揮官、カーラの逮捕を描く『スマイリーの仲間たち』(1979年)(『ティンカー、テイラー、ソルジャー・スパイ』と合わせて、これらを〝スマイリー三部作〟と呼んでいる)など、スパイが残したわずかな痕跡を足掛かりにし、場合によっては、巧妙に罠を仕掛けて相手をおびき寄せる、言うなれば〝キツネ狩り〟がこのカテゴリーの魅力といえよう。
2.潜入(目的)
『世界の諜報機関FILE』(前掲)で見たように、潜入や侵入はスパイ活動の基本であり、スパイ小説の世界においても、敵国や敵対する組織へ潜入する作品は非常に多い。これを一括りにするのは大掴みすぎるので、もう少し細かく分ける必要がある。
一口に「潜入」といっても、その目的は、機密情報の入手、敵が企てる計画の阻止、特定人物の救出・拉致・暗殺など様々である。従って、目的を「情報の入手」と「それ以外(計画の阻止と連れ出し)」の二つに分けた。
いずれのタイプも、潜入スパイを扱った小説の魅力は、相手に気づかれずに潜入することができるのか、ミッションを成功さることができるのか、そして、無事に戻って来られるのかという、それぞれの局面における固唾を飲むような緊張感である。このためか、冒険活劇型スパイ小説には、このタイプが多い。
2-1 情報の入手
敵国又は敵対する組織へ潜入して、敵に関する「情報」を入手し、持ち帰ってくることをメインとしたスパイ小説である。スパイ活動の基本中の基本ともいうべきものであり、スパイ小説の中でも圧倒的にこのタイプが多い。
情報には、ライオネル・デヴィッドスンの『モルダウの黒い流れ』で扱われているような機密文書など物理的に持ち運びできるものもあれば、ジョン・バカンの『緑のマント』(1916年)のように〝敵対勢力の情勢〟という抽象的なものもある。後者は手に入れて持ち帰るというより、内偵することがミッションである。
なお、情報の入手には、シャルル・エクスブライヤの『素晴らしき愚か娘』(1962年)やヘレン・マッキネスの『ヴェニスへの密使』のように、潜入せずに、偶然又は意図的に自国内や観光地で入手する場合もある。そうしたスパイ小説もこのカテゴリーに入れた。
また、イアン・マキューアンの『イノセント』(1990年)で描かれている地下トンネルを掘ってソビエト軍基地の通信を傍受する作戦は、「シギント」と呼ばれる盗聴や通信傍受活動であり、生身の人間が敵地へ潜入して情報収集を行う「ヒューミント」と区別されている。しかし、この作品だけで「シギント」というカテゴリーを設けるには作品数が少なすぎるので、「情報の入手」に含めた。
2-2 計画の阻止、連れ出し
敵側が計画している陰謀の阻止、あるいは敵国へ潜入している味方スパイの救出や重要な情報を握るキーマンの連れ出しといったミッションを行うため、敵国へ潜入するスパイ活動を扱った作品がいくつかある。たとえば、東ドイツの諜報機関でナンバー2にまで昇りつめたイギリス側の二重スパイを救出するため、東ドイツへ潜入する主人公を描いたテッド・オールビュリーの『偽りの亡命者』(1981年)、イギリスへ亡命しようとするロシアの美人スパイと、その護衛役を務めることになったジェームズ・ボンドが、オリエント急行でイスタンブールからヴェネチアを目指すイアン・フレミングの『007/ロシアから愛をこめて』(1957年)などが、このカテゴリーに入る。
なお、潜入の目的には、当然、暗殺や拉致というミッションもあるが、暗殺は必ずしも敵国へ潜入して行われるとは限らないので、「潜入」のカテゴリーではなく、「破壊工作・暗殺」という別のカテゴリーを設けて、そこに分類した。
3.潜入(形態)
相手に見つからず、あるいは正体がばれずに敵国又は敵対する組織へ潜入するためには、それなりに工夫を要する。本カテゴリーは「潜入」であっても、潜入するための手段、即ちどのような形態、立場で潜入するかという視点で括ったものであり、その形態によって次の三つに細分化した。
3-1 亡命
政治的・宗教的理由により祖国から迫害を受け、それから逃れるために国外へ亡命する人たちがいる。特に全体主義国家の場合、国外へ脱出するのは大変な苦労を要し、命からがら逃れる様はそれ自体がドラマである。また、亡命先で隠れるようにして暮らし、祖国を失った根無し草のような立場も小説の題材となり得る。 亡命した作家による文学を「亡命文学」と呼び、レマルクの『凱旋門』(1946年)などのような優れた文芸作品もある。
スパイ小説の場合、ロバート・リテルの『迷い込んだスパイ』、ブライアン・フリーマントルの『消されかけた男』、フレデリック・フォーサイスの『売国奴の持参金』(1991年)など、亡命は相手国へ潜入するための手段である「偽装亡命」(亡命者を装って相手国へ潜入すること)として描かれることが多い。果たして、その亡命は本物か、あるいは偽装亡命か? これが亡命を扱ったスパイ小説の醍醐味である。
3-2 替え玉
スパイは偽名と偽の身分証、それに合わせたカバーストーリー(架空の経歴)を纏って、場合によっては整形手術まで行って、別の人物になり、相手国へ潜入する。特に、ある人物と瓜二つになり代わった場合、〝替え玉〟と呼ぶ。
替え玉スパイを扱ったスパイ小説の面白さの一つは、ビル・S・バリンジャーの『歪められた男』(1969年)やデズモンド・バグリィの『タイトロープ・マン』(1973年)にみられるような、ある朝、起きたら自分の顔が別人の顔になっていたという驚愕とその謎である。また、フレデリック・エイヤー・ジュニアの『鏡の中の男』(1965年)や、ジョン・ル・カレの『リトル・ドラマー・ガール』(1983年)が描くような、完璧な替え玉になるための訓練など、その徹底した偽装工作の過程も読者を惹きつける。しかし、何と言っても、替え玉スパイの見どころは、替え玉がバレないかという不安と緊張感であろう。
なお、替え玉は、偽装亡命と同様、潜入するための手段であるが、中にはジャック・ウィンチェスターの『スパイよさらば』(1980年)のように、追手から逃れるため別人になり代わる例もある。
3-3 モグラ、スリーパー、第五列
これらは潜入先での態様である。
敵国の組織(政府、軍隊、諜報機関など)に勤務し、その組織内の機密情報を自国へ伝えるスパイのことを「モグラ(又はモール)」と呼ぶ。しかし、実際には敵国の組織で勤務するというより、自国の組織で勤務する者が敵側に通じており、相手国へ情報を流しているケースが多い。その最も有名な例が、英国秘密情報部のエリート幹部でありながら、長年、ソビエトの二重スパイだったキム・フィルビーという実在のスパイである。そして、キム・フィルビー事件を題材にしたスパイ小説の代表格が『ティンカー、テイラー、ソルジャー・スパイ』。この小説は「スパイ探し」のカテゴリーで分類しているが、同時にモグラを扱った小説としても読むことができる。
モグラを扱ったスパイ小説の面白さは、「スパイ探し」と同様、「組織内にモグラがいる。それは誰か?」という恐怖感やスパイ探しである。また、SD(ナチス親衛隊保安本部)に潜り込むソビエト・スパイを描いたユリアン・セミョーノフの『春の十七の瞬間』や、アメリカへ亡命した元ヴェトナム共和国(南ヴェトナム)の軍人たちのコミュニティーに潜り込んだ北ヴェトナムのスパイを描いたヴィエト・タン・ウェンの『シンパサイザー』(2015年)などは、主人公自身がモグラなので、彼らから見た組織内の動向が物語の主要テーマとなり、それが作品の魅力でもある。
一方、敵国に潜入し、本国からの指示があるまで、一般市民として普通に暮らし(即ち、眠っている)、指示をきっかけに眠りから目覚め、諜報活動や破壊工作・暗殺を行うスパイを「スリーパー」という。スリーパーを扱ったスパイ小説の魅力の一つは、ロバート・リテルの『スリーパーにシグナルを送れ』やミック・ヘロンの『死んだライオン』(2013年)などにみる、眠りから目覚めたスリーパーがどのような工作を行おうとし、防諜側の主人公がそれを阻止することができるのかというスリルである。もう一つの魅力は、R・ライト・キャンベルの『すわって待っていたスパイ』が描くような、偽りの身とはいえ、長年、一緒に暮らしてきた家族のもとを突然、何も告げずに去らねばならなくなったスリーパー本人のやるせない思いや、残された家族の戸惑・悲嘆といった人間ドラマである。
なお、潜入ではないが、「モグラ」とよく似た態様として、敵方に通じている自国内で暮らす集団や住民勢力を「第五列」という。特に第一次、第二次世界大戦時に、イギリス国内で暮らしながらドイツに通じていた住民をこのように呼んでいた。第五列を扱ったスパイ小説にはジョン・バカンの『三十九階段』や、グレアム・グリーンの『恐怖省』(1943年)などがある。
4. 破壊工作・暗殺
1987年11月に起きた、北朝鮮工作員による大韓航空機爆破事件は、スパイ活動における破壊工作の最たるものであろう。破壊工作は通常、ターゲットとなる設備、交通機関へ直接、爆弾を仕掛けて行うものだが、中には、現場に行かずに遠隔地から行う場合もある。ジョン・ガードナーの『ゴルゴタへの迷路』(1979年)は、大陸間弾道弾で敵対国を攻撃しようとする、極めてスケールの大きな作品である。なお、近年とみに増えているサイバーテロも、ある意味で、遠隔地からの破壊工作といえよう。
一方、要人や裏切り者に対する暗殺は、大昔から行われてきた。最近では、2017年2月にマレーシアのクアラルンプール国際空港で起きた北朝鮮による金正男暗殺事件、2018年3月にイギリス南部のソールズベリーで起こったロシアの元スパイとその娘に対する暗殺未遂事件などが記憶に新しい。
スパイ小説における暗殺は、『潜入―モサド・エージェント』のような暗殺を実行する立場、アレックス・ゴードンの『アラベスク』(1961年)のような阻止する立場、フランシス・リックの『奇妙なピストル』のような暗殺者に狙われる立場という、それぞれの〝立場〟の違いによって趣向が異なる。
「実行する立場」から描いた作品の面白さは、実行犯による暗殺計画の準備と、Xデー(暗殺日)が刻々と近づいてくるその過程である。一方、「阻止する立場」や「狙われる立場」の作品の面白さは、いつ、どこで実行犯が仕掛けてくるのかという不安や緊張感である。そして、三者に共通する最大の見せ場は、暗殺が行われる、まさにその瞬間であることは言うまでもない。
5. 情報操作
国家が意図的に嘘の情報を流して、国民の戦意高揚を図る、あるいは敵国兵士の戦意を喪失させる「プロパガンダ」。個々の戦局において行われる敵側を間違った方向へミスリードする「欺瞞情報」。これらが情報操作である。ジョン・ガードナーの『裏切りのノストラダムス』(1979年)は、〝ノストラダムスの予言〟を国民の戦意高揚に利用したナチス・ドイツと、逆に、この予言を利用してナチス内部に不安を煽るイギリスとの心理戦を描いたスパイ小説である。また、本サイトでは「情報の入手」に分類しているが、ケン・フォレットの『針の目』(1978年)は、ノルマンディー上陸作戦に関する連合軍の欺瞞情報に気づいたドイツのスパイが、それを本国に知らせようとする物語である。
情報操作を扱ったスパイ小説の魅力は、欺瞞情報によって相手が騙されるのか、受け手の立場からすれば、その情報が本物か偽物か分からないことである。そう考えると、前述した偽装亡命の魅力と同じであるが、そもそも、偽装亡命が欺瞞情報を伝えるための究極の手段であることを考えると、それも納得できよう。ただし、『針の目』の魅力については、上に述べたことだけでは収まりきらないものがあることを付記しておく。
なお、欺瞞情報は敵へ流すばかりではない。スパイが雇い主に対して、自分の立場を有利にするため、嘘の報告をする場合がある。グレアム・グリーンの『ハバナの男』(1958年)とジョン・ル・カレの『パナマの仕立屋』(1997年)は、そうした嘘の報告が思わぬ事態を招く作品だ。
6. 逃亡
主人公が悪漢や魔物に追われる手に汗握る物語は、冒険小説がまだ冒険譚だった古い時代から、人々が血湧き肉躍らせてきた娯楽の一つだった。スパイ小説は、そうした冒険小説から派生したものなので、悪漢や魔物は敵側スパイや官憲、場合によっては、自分の所属する組織に置き換わり、主人公が彼らの追跡をかわして、いかに逃れるかという形で引き継がれている。
逃亡する理由は、敵に正体がばれてしまった、組織を裏切った、知ってはならない機密情報を知ってしまったなど様々である。程度の差こそあれ、多くのスパイ小説には逃亡の要素が含まれている。
なお、『奇妙なピストル』は前述した〝狙われる〟立場から描かれた「暗殺」のカテゴリーに入るスパイ小説であるが、「逃亡」に分類している。本サイトでは、特に「逃亡」が物語の主軸を成している、あるいは場面の大半が逃亡している状況下の作品を、このカテゴリーに入れた。
7. 動機
これまで見てきたカテゴリーは、スパイ活動や、それに伴う行動・態様であるが、そもそも主人公がそうした行動をとるのは、それなりに理由、即ち動機があるはずだ。このカテゴリーでは、味方を欺いて、スパイ行為に手を染める「裏切り」や、敵対勢力に対して「復讐」を行う〝動機〟に焦点を当て、それが作品のモチーフや重要な鍵になっているものをまとめた。
ところで、「動機」といえば、松本清張は江戸川乱歩との共著『推理小説作法―あなたもきっと書きたくなる』(1959年 光文社)に収載する「推理小説の発想」の中で、「動機を追及するということは、すなわち性格を描くことであり、人間を描くことに通じるのではないか」と語り、人間が描かれていない、それまでの、つくりごとめいた日本のミステリ(いわゆる「探偵小説」)に対する不満から、動機に重点を置いた文学性の高い作品を数多く発表した。スパイ小説においても、動機を追及したものには、例えば、グレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』やジョン・ル・カレの『パーフェクト・スパイ』などのような、極めて文学性の高い作品がある。
7-1 裏切り
人はなぜ組織や母国を裏切ってスパイになるのか? 『世界のスパイ 秘密ファイル』(前掲)では、人をスパイに走らせる要因・動機として、スパイ研究家のH・キース・メルトンの分類―①お金(Money)、②思想信条(Ideology)、③名声や立場(Compromise)、④自尊心(Egoism)の四つ(それぞれの頭文字を取って「MICE(ネズミ)」と呼んでいる)―を紹介している。これらは、その人物の存在価値を高めるものであるが、同時に弱みやアキレス腱にもなり得るものである。敵対勢力は様々な手段を用いて、これを逆手に取って、対象者をスパイに取り込もうとしたり、外交交渉を自国に有利な方向へ運ぼうとしたりする。
このカテゴリーに収めた作品には、こうした弱みを握られてスパイ行為に手を染める人物が登場する。キャビン・ライアルの『影の護衛』(1980年)にみるような、ある人物が隠しておきたい秘密、あるいはケン・フォレットの『レベッカの鍵』(1980年)で描かれているような、ターゲットになった人物から情報を盗み出す巧妙な罠(ハニートラップなど)がこのタイプの作品の魅力である。しかし、中にはカレン・クリーヴランドの『要秘匿』のような、まるでサスペンス小説さながらのロシア・スパイの執拗な脅迫をクローズアップさせた作品もある。また、MICEとは少し異なるが、〝友情〟や〝恩義〟によってスパイ行為に手を染める人物を描いたグレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』のような、このカテゴリーの象徴的な作品もある。
なお、エリック・アンブラーの『ディミトリオスの棺』は、ディミトリオスという人物の悪行を描いた作品であるが、スパイ小説として捉えた場合、海軍省の役人がお金で弱みを握られ、スパイ行為を強要されるエピソードが最もそれらしいので、このエピソードをもって、本カテゴリーに入れている。
7-2 復讐
<裏切り>がスパイになった動機に焦点を当てているのに対して、<復讐>は主人公が敵と戦う動機に焦点を当てたものである。
復讐の動機も様々だ。自分を陥れた組織に対する復讐、自分を軽んじた組織に対する復讐、愛する人を殺害した組織に対する復讐等々。そして、その復讐を個人レベルで行うものと、組織レベルで行うものとがある。
このタイプの作品は、『ホップスコッチ』や『窓際のスパイ』などのように、デタント時代やポスト冷戦時代など、明確な敵対勢力が見えにくくなった時代に、自分の所属している組織を敵役として、描かれたものが多い。
8.総合
『世界スパイ小説傑作選』は短編スパイ小説のアンソロジーであり、サマセット・モームの『アシェンデン』はオムニバスである。それぞれ、「スパイ探し」、「潜入」、「モグラ」など、様々なタイプの作品が収められている。いうなれば、スパイ小説の見本市である。よって、<総合>とした。
以上、スパイ小説を13のカテゴリーに分類したが、作品によっては、一つのカテゴリーだけでは収まらず、複数を併せ持つものもある。たとえば、ロバート・リテルの『スリーパーにシグナルを送れ』は、<モグラ・スリーパー・第五列>のカテゴリーに入る作品であるが、同時に<暗殺>のカテゴリーにも含まれる。同じ作者による『ルウィンターの亡命』は、<亡命>と<情報操作>の両カテゴリーに入る作品だ。また、ジョン・バカンの『三十九階段』は前半が<逃亡>であり、後半が<モグラ・スリーパー・第五列>である。
こうした場合、作品の本質的な部分、又はウエイトの大きい方を判断基準にして、どちらに分類するかを決めた。『スリーパーにシグナルを送れ』は、暗殺計画を阻止することができるか否かのスリルを描いた作品だが、タイトルそのものが示しているように、スリーパーを相手にした作品であることから、<モグラ・スリーパー・第五列>に分類した。『ルウィンターの亡命』は、ルウィンターの持ち出した情報を偽物(欺瞞情報)だと思わせるための工作を描いた作品だが、その方法が、彼を偽装亡命者に仕立てることだったので、<亡命>に分類した。『三十九階段』は、警察とスパイ団(諜報機関の下で動く個々のスパイ・グループ)から追われる主人公の、スコットランド山岳地を舞台とした逃亡劇が作品の前半分を占め、これが印象深い。しかし、この作品は市井人がスパイ事件に巻き込まれる〝巻き込まれ型スパイ小説〟の嚆矢として位置付けられた作品であるとともに、イギリス国内に暮らす第五列が、日常生活の隣で暗躍していることを描いた作品であることから、<モグラ・スリーパー・第五列>に分類した。
「スパイ小説の書評」(作品書評)では、この分類に基づいて、各作品を紹介する。