地に落ちた帝国の威信『ツーリスト―沈みゆく帝国のスパイ』オレン・スタインハウアー/村上博基訳

ハヤカワ文庫

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 冷戦終了後も覇権を維持するため、CIAは世界中にスパイ・エージェントを放った。彼らは定まった名前も住居も持たず、命令一つで世界中を飛び回って任務を行う。そんな〝旅行者〟のような姿をもじって、CIAは彼らを〝ツーリスト〟と呼んでいた。

 元ツーリストのミロ・ウィーヴァーは現役を引退し、妻子と平和に暮らしていた。ある日、上司から連絡があり、かつてミロと一緒に仕事をしたことがあるアンジェラが機密漏えいの疑いをかけられているという。それを調査するため、ミロはフランスへ飛んだ。現地で若いツーリストと組んでアンジェラを監視するが、彼らの一瞬の隙をついて彼女は殺されてしまった。失意のうちに帰国したミロを待ち受けていたのは、アンジェラ殺しの嫌疑。容疑者として、ミロは国土安全保障省から追われる身となった。

 作者のオレン・スタインハウアーは、東欧の架空の国を舞台にした『嘆きの橋』(2003年)をはじめとする東欧五部作で、冷戦の成立から終焉までを描いてきたが、それに一区切りをつけ、次に挑戦したのが9・11同時多発テロ以降の世界情勢を描くことだった。

 2001年に発生した9・11同時多発テロ以降、世界は大きく様変わりした。東側陣営に代わってイスラム過激派が新たな脅威となり、また、中国がアメリカやロシアに比肩するほど存在感を増している。それと同時に諜報機関、とりわけ、同時多発テロを許した、かつての<帝国>、CIAの信用失墜は著しい。国土安全保障省という新たな組織が政府に設けられ、同省からの調査も甘んじて受けざるを得ない立場になってしまった。当然、そうした状況を快く思わない連中がCIA内部にいて、かつての威信を取り戻そうとする、ある陰謀が彼らによって画策されていた。

 ミステリ研究家の霜月蒼は巻末の解説で、90年代から2000年代にかけての冒険・スパイ小説は、膨大な情報と複雑なプロットで構築された舞台を、単なる記号にすぎない登場人物が狂言回しを演じるだけの〝国際謀略小説〟が、このジャンルを席巻していたと指摘している。(同氏は、それを「失われていた二十年」と表現)そうした中、往年のスパイ小説を彷彿させるような、魅力的なキャラクターの登場人物とスリリングなストーリー展開で牽引するスパイ小説が久々に登場したと、本作品を絶賛している。

 それを証明するかのように、2009年に発表された本作品は全米の主要各誌で絶賛され、ベストセラーを記録した。また、俳優のジョージ・クルーニーが映画化権を取得したことでも話題になった。(この文章を書いている2018年現在、まだ映画化には至っていない)なお、アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップ主演の映画『ツーリスト』は、本作品とは全く別物である。