妻と息子は新聞をほとんど読まない。そのことを彼らに指摘すると、「わざわざ新聞を見なくてもネットで世の中のことは分かるから」、挙句の果ては「お金がもったいないから、この際、新聞をとるのをやめたら」とまで言ってくる。
確かに紙媒体の新聞を読まなくても、5大新聞はそれぞれ電子版を発行しているので、パソコンやスマホでそれらを読むことができる。しかも、Yahoo!ニュースなどであれば無料だ。加えて紙媒体のように物理的に溜まることがないので、古新聞として定期的にゴミ出しする必要もない。しかしである。だからと言って、筆者は紙媒体の新聞を購読するのをやめはしない。
ネットニュースは自分の興味あるニュースしかクリック(=読む)しないので、興味のないニュースは入ってこない。それに対して紙媒体の新聞は、めくったそれぞれの紙面に載っている興味のないニュースも自然に目に入ってくる。三宅香帆の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)によれば、このような、偶然、目に入って来る予期しない情報を〝ノイズ〟と呼ぶそうだ。
筆者が新聞の書評欄を読むのが好きなのも、正にこのノイズがあるから。新聞の書評欄は3~4頁で構成しており、紹介しているジャンルは、文芸、ノンフィクション、エンタメ、社会科学、自然科学など幅広い。書評欄の紙面を広げると、否が応にも、タイトルやキャッチコピーが目に入って来るので、普段、読まない社会科学や自然科学分野の本であっても、思わず興味をそそられ、場合によっては書店で買い求めることがある。
一方、ネットの書評ではそうはいかない。検索するのは興味がある本なので、興味のない本は引っかかってこない。
古書を求める場合も、ノイズがあるから古書店や古本市へ行くようにしている。古書店や古本市で求めている本が見つかる可能性は極めて低い。むしろAmazonや古本専門のサイトで探した方が見つかる確率は高い。
しかし、古書店や古本市で書棚を眺めていると、知らなかった、予期しなかった本(即ちノイズ)に出合う可能性がある。これが最大の魅力である。筆者の最も好きなスパイ小説であるR.ライト・キャンベルの『すわって待っていたスパイ』も、まさに古本市で出会ったノイズなのである。
筆者にとってノイズは雑音ではなく、宝が埋もれている砂利土なのだ。