近年、再評価されている理由 『密偵』 ジョゼフ・コンラッド著/土岐恒二訳

岩波文庫

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 コンラッドといえば、アフリカ奥地の未開地を舞台に、近代人の内なる魔性を描いたイギリス文学の名作『闇の奥』が有名だが、近年、再評価されているのが『密偵』である。

 物語の主人公は、ロンドンの下町で怪しげな雑貨屋を営むヴァーロックという中年男。若くて献身的な弟思いの妻、彼女の知恵遅れの弟、年老いた彼女の母親の四人で暮らしていた。しかし、彼の裏の顔は某国(帝政ロシア)大使館に雇われた密偵(スパイ)であり、彼の自宅に集まって論壇風発を交わすアナーキストたちの様子を雇い主に定期的に報告していた。しかし、上司が交代してから事態が変わる。新しい上司は、報告書ではなく、アナーキストたちを逮捕するに足る具体的な材料(世間に大きな衝撃と怒りをもたらす、アナーキストによる示威行為)を求め、「何か起こさない限り、それ以上(資金を)出せん」(土岐恒三訳。括弧内は筆者)」とヴァーロックに宣告する。そして、当時(20世紀初頭)の中産階級の〝神聖侵すべからざる呪物的崇拝物〟(訳者)だった「科学」、それの象徴ともいえるグリニッジ天文台の爆破を仄めかしたのだった 。

 『密偵』(原題はTHE SECRET AGENT)という題名から、古典的な冒険スパイ小説を想像するかもしれない。しかし、そうした要素は全くない。ここにあるのは、「冷酷に突き放した目で観察された人物たちの性格描写であり、彼らの内に秘められた自己中心的な論理と、彼らの外面に現れた行動との間にみられる矛盾と虚偽が生みだすグロテスクな歪み」(訳者「解題」より)である。そして、このグロテスクな歪みは、密偵やアナーキストという〝薄汚い環境と道徳的卑劣さ〟(「作者ノート」より)が宿る世界の住人たちに最も顕在化しやすい、とコンラッドは考えていた。

 この作品は発表当時(1907年)、描かれている対象が密偵やアナーキストたちであったため、読者から不評を買った。エリック・アンブラーは『あるスパイの墓碑銘』(1938年)の「あとがき」の中で、「(前略)『密偵』をコンラッドの作品目録の中にあげてさえいないのである。奇妙なことに多くの文学者のスパイ小説に対する態度は、実際のスパイに対する多くの政治家や将軍の態度とそっくりである」(北村太郎)と嘆いている。

 スパイやテロリストは忌み嫌われる存在である。しかし、彼らをそうした行動へ突き動かす〝暗い力〟(訳者)や、悲劇的な末路に我々は惹きつけられる。また、作品に描かれている―例えば、上司が交代することによって、これまでの仕事のやり方が通じなくなること、叩き上げのベテラン刑事と上流階級出である警視監との相克、社会に馴染めず体制に不満を抱いているテロリストたちの姿は、そのまま現代にも当てはまることだ。

 本作品が、近年、見直されているのは、その辺に理由があるのかもしれない。