人を悪魔的所業に駆り立てるもの 『母なる夜』 カート・ヴォネガット・ジュニア/ 飛田茂雄訳

ハヤカワ文庫

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 『タイタンの妖女』、『スローターハウス5』など、ブラックユーモアの効いたSF小説のスタイルを借りて、人間の愚かさや哀しみを描いた現代アメリカ文学の旗手、カート・ヴォネガット・ジュニアが、珍しくSF色を廃して書いたのが本作品である。

 ハワード・キャンベルはアメリカ人だが、父の仕事の関係で11歳からドイツで過ごし、劇作家となってドイツ人女優ヘルガと結婚する。第二次世界大戦が勃発しても、そのままドイツに留まり、ナチスのプロパガンダ放送に携って重用される。しかし、その裏で彼は放送に乗せて連合軍向けの暗号情報を送っていたアメリカの特務機関員(軍の諜報部門に所属するスパイ、工作員)でもあった。やがて、ドイツは敗戦。しかし、彼が特務機関員だったことを立証する者は誰もいない。二つの祖国を失ったキャンベルは戦犯として追われる身となり、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの安アパートに身を隠して、ひっそりと暮らしていた。そんなある日、狂信的な反ユダヤ主義の新聞を発行している男が彼の部屋を訪ねてきた。しかも、連合軍の爆撃で亡くなったはずの妻、ヘルガを伴って

 本作品が発表された1961年、エルサレムでアイヒマンの裁判が行われている。ナチスの悪魔的な犯罪を前にして、誰しも思うのは「人間は怪物(モンスター)になりえるのか?」という問いだ。「自分は命令に従っただけだ」とアイヒマンは主張し、哲学者のハンナ・アーレントは彼を「小心者で、取るに足らない役人」と評した。反ユダヤ主義のプロパガンダに貢献したキャンベルも、「私の内面のずっと奥深くには、とても善良なわたしが潜んでいる」と自身について語り、自分を戦犯として追う男に向かって、「本当の悪は、あらゆる人間のなかに潜む部分―際限なしに憎み、神を味方につけて憎しみたがる部分だ」と言っている。

 〝母なる夜〟とは、ゲーテの『ファウスト』に登場する悪魔メフィストフェレスの「高慢ちきなその光は、いまや母なる夜と争って、その古来からの地位と支配領域を奪おうとしています」(飛田茂雄訳)という台詞の一節である。アイヒマンもキャンベルも本来は、母なる夜のような穏やかで、慈悲に満ちた感情を持っていたはず。それが高慢ちきな光(ヒトラー)が照らすナショナリズムとポピュリズムによって、あたかも神が味方しているかのような高揚した気持ちにさせられ、古くからの隣人(ユダヤ人)を憎しみ、国家の下部として、隣人を抹殺する悪魔的所業へ駆り立てられていったのであろう。

 終盤に、あるスパイ事件が起こり、根なし草のような生活に生きる意味を失ったキャンベルは、「母なる夜」(即ち魂の安息)を求めて自らエルサレムへ行き、裁きを受ける。

 戦争によって翻弄され、〝あまりにも公然と悪に仕え、あまりにもひそかに善に仕えた〟(作者プロローグより)男の哀しい人生を描いた感慨深い作品である。