2025.8.12 田山花袋の『蒲団』

 彼女と別れてひと月ほど経ったある日曜日の午後、車を洗っていた僕は座席についている一本の長い髪の毛を見つけた。細くてやや茶色っぽい髪の毛、まぎれもなく別れた彼女の髪の毛だ。 週末の晩、よく二人でこの車の座席から夜景を眺めたが、おそらく、そのときについたものだろう。

 まだ彼女に未練の残っていた僕は、写真や貰ったプレゼントに彼女の面影を求めていたが、髪の毛という、いわば彼女の体の一部であるその痕跡は、より一層、面影を濃厚にし、僕の心をこのうえもなく切なくした。そっと髪の毛に鼻を近づける。ツンと鼻にくる甘酸っぱい匂いは、なつかしい彼女の匂いだ。目を閉じると、まだそこに彼女がいるような錯覚に陥る。僕はその髪の毛を大切に机の引き出しの奥にしまいこみ、淋しい夜、眠れない夜には、密かにそれを取り出し、思い出に耽ったものである。

 読んだわけではなかったが、そんな自分の姿が、田山花袋の『蒲団』に重なった。
「去っていった女弟子の体臭が染みついた蒲団に、彼女の面影を求めてむせび泣く中年男の内面を描いた自然主義文学の代表的作品」高校時代、Tという、しょぼくれた感じのする国語教師がそう紹介したとき、何となくその教師と主人公がダブったので、そこのところだけ印象に残っていた。

 早速、買って読んでみる。身につまされるとは、まさにこのことだろう。明治であれ、平成であれ、女に未練を持つ男の気持ちに変わりはない。――あれから五年、別れた彼女は今、僕の妻になっている。今では、あの頃のロマンティックな思いはすっかり色あせ、洗面台にブラッシングしたときに抜けた彼女の髪の毛が落ちていると、「おい! 髪の毛が落ちている。汚い!」と怒っている有様だ。彼女の髪の毛に涙した僕はどこへ行ってしまったのか。
(ダ・ヴィンチ12月号・創刊8号〔平成6年12月〕「読者が選ぶ私の一冊」に『女に未練を持つ男の気持ちはいつの世も変わらない』という見出しで掲載された筆者の投稿文より)