冷戦時代の活躍を聴聞会で語る 『騙し屋』フレデリック・フォーサイス著/篠原 慎訳

角川文庫

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 フレデリック・フォーサイスといえば、ド・ゴール大統領の暗殺計画を描いた『ジャッカルの日』(1971年)など、国際政治の陰謀を虚実ない混ぜ、ドキュメンタリータッチに描く作品で定評がある。しかし、あまり知られていないが、SIS(英国秘密情報部)のベテラン・スパイで、仲間内から〝騙し屋〟と呼ばれているサミュエル・マクレディが活躍する、中編スパイ小説四部作(いずれも1991年発表)も見逃すことはできない。

 マクレディは東側を相手に数々の成果を上げてきた腕利きの工作担当官だったが、冷戦の終焉とともにリストラの対象となり、退職を勧告される。それを不服とした彼は聴聞会の開催を要求し、これまでの功績を語る。まず、最初の例として引き合いに出されたのが、1985年に起きたソビエト軍の将官、パンクラティンに関する事案だ。

 SISに情報を流していたパンクラティンが、ソビエト軍の戦闘マニュアルを、彼が東ドイツを視察するときに渡したいとマクレディへ連絡してきた。しかし、マクレディは東側に顔を知られているため、東ドイツへ入国するわけにはいかない。そこで、BND(西ドイツ連邦情報局)の部員でありながら、マクレディのエージェントでもあったブルーノ・モレンツという男を使うことにした。

 「ストーリーこそ重要で、人物描写は二の次」とフォーサイスは自身の小説づくりについて語っているが、なかなかどうして、登場人物たちは、いずれも存在感がある。とりわけ、ブルーノの人間臭さが光っている。定年を間近に控えたブルーノにあてがわれている仕事は、諸外国の賓客を相手とする売春宿(盗撮して賓客の弱みを握るのが目的)の管理人。勤め先での情けない仕事、家庭にあっては左翼運動にかぶれている娘、ニートの息子、ブルーノに全く関心を示さなくなった妻。そんな彼の唯一の生きがいは、レナーテという売春婦の愛人だった。ブルーノの夢は定年後、どこかの海辺の町でレナーテと二人だけで、こぢんまりとした居酒屋を持つことだった。しかし、若い女性に入れ込みすぎた中年男に待ち受けているのは、悲劇的な結末であるというのが、世の習いだ。

 冷戦が崩壊し、KGBという好敵手がいなくなると、スパイ小説も現実世界を反映して、国際テロ組織や麻薬カルテルなどを新たな敵役とするようになった。しかし、敵役の本家本元は、やはりKGB。フォーサイスは冷戦時代の活躍を聴聞会で語るという手法を用いて、ポスト冷戦時代に伝統のスパイ小説を書いた。けだし、アイデアである。

 マクレディは、この後も引き続き、聴聞会で『売国奴の持参金』、『戦争の犠牲者』、『カリブの失楽園』と、計4つの事案を語るのだが、面白いのは、やはりKGBとの息詰まる戦いを描いた『騙し屋』と『売国奴の持参金』である。