前回のブログで取り上げた『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』の文庫版を読んだ。
キム・フィルビーは「相手の心に愛情を、いとも簡単に吹き込んだり伝えたりでき、そのため相手は自分が魅力の虜になっているとは、ほとんど気づかないほどだった。男性も女性も、老いも若きも、富める者も貧しき者も、誰もがキムに取り込まれた。(中略)立ち振る舞い実に見事で、常に誰よりも早く飲み物を差し出し、相手の母親が病気なら誰よりも早く具合を尋ね、子持ちなら子供の名前を誰よりも早く思い出した。笑うのが大好きな上に、酒を飲むのも人の話しを聞くのも大好きで、しかも聞くときは心の底から真剣に、興味津々になって聞いた」(小林朋則訳)という魅力的な人物だった。
こういう人たらしの男だったからこそ、МI6の盟友ニコラス・エリットや、CIAの対情報部門の責任者だったジェームズ・アングルトンは、心を許して何でも(その中には重要な機密情報も含まれている)キム・フィルビーに話し、それがそのまま彼によって、ソビエトへ伝えられていたのである。
スパイ活動の要は相手から情報を探り出すことである。そのためは相手と親しくなる必要がある。ニコラス・エリオットは後年、情報将校にとって「友人を作る能力はとりわけ重要な資質である」、「現場での膨大な量の情報活動は、とにかく個人的な関係を築くことに尽きる」と語っているが、キム・フィルビーは、正にこれの最たる例といえよう。
キム・フィルビーに限らず、優れたスパイは、総じて人たらしである。第二次世界大戦下の日本で諜報活動を行っていたソビエトのスパイ、リヒャルト・ゾルゲは、大酒のみで女たらし(人たらしは女性にモテる)だったらしい。また、冷戦時代、ベルリンにあるソビエト施設の床下に英米が設けた「盗聴用トンネル」をソビエトに密告し、東ドイツ国内における対英協力者の名簿を持ち出したイギリスのスパイ、ジョージ・ブレイクは、「ハンサムで背が高く、立ち振る舞いは実に見事で、どこへ行っても人気のある男」だったという。さらには、第三次中東戦争の最中、五千名のエジプト人捕虜との交換で釈放されたモサドの英雄・ウォルフガング・ロッツは、エジプト社交界の寵児と言われた人物だ。
スパイといえば〝根暗〟や〝裏切り者〟などネガティヴなイメージを抱きがちだが、実際は正反対なのだ。あなたの身の回りにいる明るくて誰からも好かれているあの人は、実は最もスパイに向いている人物なのである。