公開中の「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」(2023年、ドイツ・オーストリア・スイス・イギリス合作映画)を観た。
1940年8月のベルリン。金髪でアーリア人のような容姿をもつ18歳のステラ・ゴルトシュラークはアメリカに渡ってジャズシンガーになることを夢見ていた。しかし、彼女はユダヤ人だったため、それは叶わない夢だった。3年後、軍需工場で強制労働を強いられていたが、ユダヤ人向けの偽造身分証を販売するロルフと出会い、恋に落ちる。同胞や家族が隠れて生活する中、二人は、ユダヤ人の窮状を利用して、偽造した身分証を手配していた。しかし、そのことが発覚し、ゲシュタポに逮捕される。〝死の工場〟と噂されているアウシュヴィッツへ移送されるのを免れるため、ステラはゲシュタポに協力して、ベルリンに隠れているユダヤ人逮捕に協力した。終戦後、生き残るために同胞を裏切ったステラは、ナチスへの協力者として裁判にかけられる……。
映画のラストで「彼女は加害者であるとともに、被害者でもある」というテロップが流れる。なるほど、同胞を裏切らなければ生き残れない状況は確かに悲劇である。もし、ナチスによるホロコーストがなければ、否、ステラがアメリカに移住できていたなら、同胞を裏切ることはなかったであろう。しかし、いくらそうした悲劇的な状況であっても、自分の親しい人や友人たちを裏切ることができるであろうか? 単に〝裏切った〟のではなく、積極的に同胞を〝売って〟いたのだ。(だから、彼女は同胞から〝Blonde Poison〔金髪の毒婦〕〟や〝Blonde Lorelei〔金髪の魔女〕〟と呼ばれていた)
もし、筆者が彼女の立場だったら、同胞を売るくらいなら死を選ぶであろう。そんなことをして一日を永らえたとしても、自責の念で苦しまなければならない。それに、そこまでして、当時のユダヤ人が置かれた状況の下で生きたいとは思わない。しかし、そう思うのは、結婚して子ども独立し、孫もいる、もうすぐ65歳を迎える筆者にとって、人生にそんなに思い残すことはないからであろうか? もし、彼女と同じような人生がこれからという18歳だったら、果てして現在と同じ思いを抱くであろうか? ……いや、それでも、やはり筆者なら裏切らない。