久々の正統派イギリス・スパイ小説 『ケンブリッジ・シックス』 チャールズ・カミング著/熊谷千寿訳

ハヤカワ文庫

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 イギリス政府に奉職しながら、ソビエトのためにスパイ活動を行っていたドナルド・マクリーン、ガイ・バージェス、アンソニー・ブラント、ジョン・ケアンクロス、キム・フィルビーら五人は、彼らの出身大学名をとって、〝ケンブリッジ・ファイヴ〟と呼ばれている。だが、関係者の間では、まだ明るみになっていない第6番目の男がいるとのことだ。

 元MI-5部員だったピーター・ライトは著書『スパイ・キャッチャー』(1987年)の中で、MI-5長官のロジャー・ボリスこそが6番目の男だと告発し、当時の首相だったサャチャーが出版の差し止めを求め、世間の耳目を集めた。しかし、真偽は定かでなく、いまだに6番目の男の存在は謎である。本書はそんな6番目の男にまつわるスパイ小説だ。

 サム・キャディスは、ロンドンの大学でロシア史の教鞭をとる43歳の歴史学者。ある日、友人であり、一時、恋人関係もあったジャーナリストのシャーロットから、ケンブリッジ・スパイの6番目の男に関して共同執筆を持ちかけられた。しかし、その矢先、シャーロットは心臓麻痺で急死してしまう。彼女の後を継いで調査をはじめたサムは、やがて、〝アッティラ〟という英国秘密情報部のために働いていたKGBの二重スパイの存在を知る。また、16年前、同情報部がある男の死を病院で偽装していたことも知った。しかし、偽装に手をかした医師や看護師は、その後、サムの調査に合わせるかのように、次々と不慮の死をとげていく。シャーロットの死も決して偶然ではあるまい。サムは真相を突きとめるため、モスクワ、バルセロナ、ウィーン、ブタペストへと飛ぶ。しかし、彼の行動を密かに監視していた英国秘密情報部とFSB(KGB解体後のロシアの諜報機関)は、それを快く思わなかった。そして、ついに、それを阻止するため動き出す。

 主人公が追及しているのは冷戦時代の謎であるが、舞台は現代(2008年)。英国秘密情報部やFSBが、サムのインターネットや携帯電話の履歴から、彼の接触相手、居場所などを把握しているところは、まさに現代のスパイ小説ならではのものといえよう。

 作品では、元KGB将校で、柔道の達人であるロシア大統領のセルゲイ・プラトフ(言うまでもなくモデルはプーチン)が重要な鍵を握っている。1957年~63年までイギリス首相を務めたハロルド・マクミランの「まあ、スパイなどつかまえちゃいかん」というエピグラフの言葉が意味深だ。

 作者のチャールズ・カミングは、ワシントンポストが「二人の巨匠、ジョン・ル・カレとグレアム・グリーンに比肩する」と評した、久々の正統派イギリス・スパイ小説を書く期待の作家である。本作品は、そうした評価を裏付けるスパイ小説であり、2011年のCWAイアン・フレミング・スティール・ダガー賞の候補にもなった。