書きたくて書けなかった小説

 40歳の頃まで小説家になりたいと思っていた。しかし、仕事をしていると、なかなか書く暇がない。(今では、それが都合の良い言い訳であることがよく分かる。本当に小説を書きたい人は、どんなに時間がなくても、寸暇を惜しんで原稿用紙に向かっているものだ。)

 それでも、仕事の関係で東京へ単身赴任していた1998年~2000年の3年間は、休日に家族サービスもする必要もなく比較的時間があったので、「この間に本腰を入れよう」と、小説の執筆に取り組んだ。

 書きたいと思った小説の題材は、別冊・歴史読本Vol.59『江戸諸藩 役人役職白書』で知った〝狼取り〟のことである。馬産地である南部藩では、藩に献上する馬たちを狼(当時は、まだ日本に狼が棲息していた)から守るため、猟師から選んだ者に俸禄、鉄砲、弾薬を支給して狼害防止対策の任に就かせていたという。

 狼取りを主人公にどんな物語にしようかと色々構想を練り、時には根岸競馬記念公苑にある「馬の博物館」まで足を運んで、我が国の馬の歴史に関する文献を調べたり(当時は、今ほどインターネットで何でも公開されている時代ではなかった)もした。しかし、どうしてもヘミングウェイの『老人と海』や吉村 昭の『熊撃ち』のような、偏屈で頑固者だが、その道の名人と言われる漁(猟)師の主人公と、対象となる動物との孤独な死闘という紋切型になってしまう。登場人物(片方は人間ではないが)もこの二人だけで、小説として拡がりに欠ける。もっと色々な人物を登場させて小説らしくしようとあれこれ考えたが、筆者には「経験したことしか書けない」という小説家志望者にとって致命的な弱点があったので、複数人の人物を舞台の上で廻していくことができない。それどころか、経験したことしか書けないので、主人公である猟師のことも、いざペンを持つと一行も進めない。そんなことがあって、いつしか狼取りのことはおろか、小説を書くという夢もなくなってしまった。

 あれから二十数年経った昨年の11月、角川春樹事務所から発刊された『奥州狼狩奉行始末』(東圭一著)を新聞の書籍広告で知った。筆者が書こうと何度も呻吟して、結局、書くことができなかったことを小説にしている! この東圭一という作家は狼取りのことをどのように料理したのだろうか? 早速、書店で買い求め、むさぼるようにして読んだ。

 これは狼狩を通じて掘り起こされた、主人公の父に起こった非業の死の真相と、その裏に隠された藩の不正の謎を暴く時代ミステリである。〝黒絞り〟という知能、身体力ともに優れた狼の群れの頭目が出てくるが、あくまでも事件のきっかけにすぎない。〝狼狩奉行〟と言うタイトルこそ付いているが、これはレッキとした人間ドラマだ。だからこそ第15回角川春樹小説賞を受賞したのであろう。こういう展開の仕方があったのか、筆者は素直に作者に脱帽した。