栞について

 栞……字面といい、〝しおり〟という音の響きといい、どこか清楚な女性を想起させる名が付された、本を読むときに挟む短冊形の硬い紙片。普段、あまり意識することはないが、栞も千差万別、様々なものがある。

 新刊の文庫本を買ったときに挟んである出版社の広告が印刷された栞。ペラペラの紙質は栞として使うには、あまり機能しない。印刷されているのは出版社がタイアップした映画の宣伝広告が多いが、主役を演じるアイドルの派手な広告写真は、読んでいる本の内容と乖離(あくまでも筆者の場合だが)しているうえ、本を読むのに目障りだ。直ぐにゴミ箱へ行くことになる。

 書店などが独自に作っている栞もある。こちらは本にまつわる詩や格言、あるいはメルヘンチックなイラストなどが印刷されたものが多い。しかし、凝り過ぎたものは、本と栞が主客転倒していて使いにくい。

 押し花をラミネート加工したものや革製の、お土産用として販売されている栞もある。筆者は通勤電車内でよく本を読む。座れない場合は立って読んでいる。栞は開いているページから巻末ページまでの間(即ち、まだ読んでいない部分)に挟んでいるのだが、挟み方が浅かったりすると、何かの拍子に栞が落ちてしまう。紙なので、ひらひらと落下して、自分の足元に落ちるとは限らない。見失うこともあるし、他の乗客の足元に落ちると、車内が混んでいる場合、拾うことができない。このように筆者は電車内で、しはしば栞を失っているので、栞を有料で買うことは考えられない。

 筆者がよく使う栞は、書店などがオリジナルで制作しているものだが、白を基調とした抽象的なデザインのもの、要は栞自身へ関心がいかないものだ。筆者にとって、栞は読みかけの本のページを開く目印にすぎないので、目立つものは煩わしい。そういう地味な栞を使いまわして三冊くらい読むと、紙が自然に劣化するので、次の栞と取り換えている。

 こう書くと、栞に何の思い入れもないように思われるかもしれないが、そんなことはない。栞を挟んでいる位置は、読んだページに従って後ろへ移動していく。読み応えのある長編文学などの場合、最初の内は、栞は遅々として移動しない。しかし、いつしか、それが本の半分まで来て、さらに数日すると、残り部分が少なくなってくる。皮肉なもので、初めの頃は、栞の緩慢な動きがもどかしかったのに、この時期になると、残りが減るのが惜しくなってくる。面白い小説ほど、それを感じさせる。

 筆者にとって、栞は目印にすぎないが、それは物語の進行状況と面白さの度合い示すバロメーターにもなっている。