はじめに

 ミステリに関して解説した書籍は、それこそ山のようにある。例えば、『このミステリーがすごい!』(宝島社)、『本格ミステリ・ベスト10』(原書房)、『新海外ミステリ・ガイド』(仁賀克雄 論創社)などのガイドブック、あるいは『謎と恐怖の楽園で ミステリー批評五五年』(権田萬治 光文社)、『私のペイパーバック ポケットの中の二五セントの宇宙』(小鷹信光 早川書房)、『ミステリ国の人々』(有栖川有栖 日本経済新聞出版社)といったエッセイや書評集など、都市部の大型書店へ行けば、この種の書籍が、あたかも一つのコーナーを形成するかのように、書棚の一画にずらりと並んでいるのを見ることができる。

 他の分野の小説に比べて、なぜミステリの解説本(ガイドブック、エッセイ、書評などをまとめて、便宜上、「解説本」と表記する)は、これほどが多いのか? それはミステリが極めて趣味性の高い文学ジャンルだからであろう。

 趣味性の一つ目は、言うまでもなく、謎解きである。作者が仕掛けた巧妙なトリックを見破って犯人を当てる。そこには小説を〝読む〟という楽しさだけでなく、作者と読者が知恵比べをする〝ゲーム〟としての面白さがある。ゲームであるがゆえに、フェアプレイを期すため、ヴァン・ダインの二十則やノックスの十戒のような小説作法上のルールまで存在する。

 趣味性の二つ目は、探偵役のキャラクターの多様さだ。本職である刑事をはじめ、新聞記者、僧侶、タクシー運転手、バーのマスター、主婦、さらには幽霊や吸血鬼といった、この世の者ではないものまで、実に様々な職業・立場の探偵が登場する。そして、それに合わせるかのように、作品のテイストも、シリアスなもの、ユーモラスなもの、オカルトチックなものなどバラエティーに富んでいる。ミステリの書き手がいる限り、次々と新手の魅力的な探偵が登場し、毎月、書店の新刊コーナーを賑わしてくれる。

 そして、趣味性の三つ目は、この多様なミステリを分類する、本格派、倒叙もの、ハードボイルド、サスペンスといわれる類型化(サブジャンル化)である。他の分野の小説において―確かに時代小説では「武家もの」や「市井もの」といった分け方もあるが―これほど明解かつ確固たるサブジャンルを持つものはない。

 このように、ミステリは多様性に富んだ趣味性の高い文学ジャンルであるため、様々な切り口で解説したり、ランキング付けを行ったりすること自体が、好事家にとって楽しい作業となる。そして、ミステリファンである読者にとっても、そうしたものを読むのが楽しい。各務三郎は『ミステリ散歩』(1985年 中公文庫)の中で、書評を読む楽しさを「まだ読んでいない本の中身を知るほかに、自分の読んだ本をどう評価しているかとのぞきこむのは、隣の座席の人の試験答案を盗み見るようなスリルさえ感じられます」と譬えている。そのようなスリルが味わえるかはともかくとして、寝しなの一時、枕元のあかりを灯してミステリの解説本に目を通し、次に読みたい作品を探したり、自分が読んだ作品についてプロがどう評価しているのかを確認したりするのは、至福のひとときである。

 ところが、スパイ小説では、そうした解説本がほとんどない。国内で出版され、2021年現在、書店で入手可能なスパイ小説に特化した解説本といえば、『スパイ小説の背景』(直井 明 2011年 論創社)くらいだ。一般的にスパイ小説は、ハードボイルドやサスペンスと同じように、ミステリのサブジャンルの一つとして、解説本の中で数編が取り上げられている、又は数ページの解説文があるにすぎない。

 スパイ小説ファンの筆者(本サイト管理人)としては、ミステリや冒険小説分野で活躍している文芸評論家の誰かが、スパイ小説に特化した解説本を書いてくれないものかと密かに期待していたのだが、あいにく誰も書いていない。ならば、自分で書こうと思って、スパイ小説を一冊、読み終えるごとに、作品に関する書評を趣味として書き留めるようになった。そして、それが100編たまったので、世間に公表しようと思ったのである。

 スパイ小説は冷戦時代に隆盛を極め、それの終焉とともに、そのほとんどが姿を消してしまった。まさに冷戦時代の徒花のような、あまたのスパイ小説。これらをインターネットで紹介することは、消えて行ったスパイ小説(現在、刊行されているものを含めて)のアーカイブにもなる。

 そして、アーカイブとするからには、これまでになかったスパイ小説のブックガイド的な性格も持たせたいと思い、スパイ小説論と作品の書評からなる二部構成とした。

 一部は、スパイ小説の総論ともいうべきものであり、スパイ小説の定義、歴史、魅力、効能、お国柄、文学性、分類について述べている。特に分類に関しては、いろいろな切り口を試行錯誤し、最終的に拙著で整理した分類方法に至った経緯と、その内容について紙数を割いた。

 二部は、その分類方法に基づいたスパイ小説の書評である。今回、紹介している海外の作品100編では、既存の解説本(右に述べた、ミステリのone of themとしてスパイ小説を解説したもの)でよく取り上げられている、スパイ小説を語るうえで外せない作品は、すべて網羅したつもりである。しかし、超人的なスパイ・ヒーローが活躍する、お色気とアクションシーンにあふれた活劇タイプのスパイ小説は筆者の好みではないので、この手のものについては、最低限、おさえておくべき作品だけしか載せていない。筆者が好むのは、現実のスパイの世界を描いたリアルな作品や、スパイ戦(〝諜報戦〟ともいう。拙著では文脈によって、いずれかの用語を使用している)に翻弄され、その犠牲になる名もなきスパイの悲劇を描いたものである。結果として、取り上げた作品は、そうしたタイプのものが比較的、多くなっている。

 また、取り上げている作品は―今世紀に入ってから書かれたものも、いくつかあるが―半分以上が冷戦時代に発表されたものである。スパイ小説は時代を映す鏡だと言われているが、その言葉通り、当時の作品は現在の国際情勢から見て、陳腐化している面があることは否めない。しかしながら、組織の中に敵国スパイが何食わぬ顔をして潜んでいること。別人になりすまして、たった一人で敵国に潜入すること。相手組織のミスリードを誘うため、偽の情報を掴ませること。お金やセックス絡みで相手に弱みを握られ、スパイ行為に手を染めること。スパイであることが露見しないかと、終始、不安に苛まれていること等々、スパイ活動に関わるパターンや、スパイ本人の孤独で不安な立場は、当時も現在も変わらない。背景や情勢こそ当時のものであるが、冷戦時代のスパイ小説であっても、時代を越えて我々の心に響く作品が数多くある。それらを読まずにいるのは、あまりにももったいない。

 幸い現代は絶版になった本であっても、インターネットで簡単に入手することができる。本サイトが、そのガイド役となり、一人でも多くの人にスパイ小説の面白さを知ってもらえればと願っている。