長編小説と短編小説

 長編小説と短編小説――どちらもそれぞれ魅力があり、どちらを好むかは人それぞれ。筆者の場合、状況によって異なる。

 筆者が長編小説を読むのは、通勤電車の中、会社のお昼休み、週末のスターバックスなど、もっぱら日中である。夜は頭が疲れているせいか、本を読んでいてもすぐに眠くなるし、複雑な人物関係や物語の伏線も頭に入りにくい。

 長編小説の魅力は、何と言っても様々な人物が登場し、大河の流れのように物語が滔々とクライマックスに向かって展開していくことだろう。長い作品の場合、読み終えるのに1か月、場合によっては2~3か月を要する場合もある。それだけ、長い間、登場人物たちと一緒に物語の世界を過ごしていると、主人公をはじめ、登場人物たちに対する思い入れも増し、読み終えたとき、充実感よりも、筆者の場合、「もう、この人たちと一緒にいることもないのか」という一抹の淋しさ、陳腐な表現だが、まさに「心にぽっかりと穴が開く」という感覚に陥る。

 最近であれば――再読になるのだが――手塚正己の『軍艦武蔵』(正確にいえば、小説ではなく、ドキュメンタリーだが)がこれに当て嵌まる。

 一方、短編小説は長編小説のように主人公と共に人生を歩むという感覚はないが、物事のある一面を切り取り、読み手の心をざわつかせたり、ヒヤリとさせたり、クスリとさせたりするのが醍醐味だ。殊にアンソロジーの場合は、一冊で色んな味の作品が堪能できるので、幕の内弁当のような魅力がある。

 筆者の場合、寝る前のひと時に短編小説をよく読む。寝る前に長編小説はヘビーだ。その点、短編小説は、短いものであれば30分もあれば読み終えるので、ちょうどキリよく、眠りにつくことができる。

 短編小説を読む時間帯は、寝しな、即ち夜であるので、作品はミステリアスなものや、怖いものがよい。昼間の明るくて人が多い場所で怪談を読んでも、ちっとも怖くない。読むなら、断然、夜だ。何気ない日常風景を読みやすい文章で綴り、最後に思わず背筋を凍らせるようなオチがある阿刀田高の作品などは、筆者にとって、最良の寝物語である。

 さて、あなたは長編小説派? それとも短編小説派、どちらであろうか?