スパイ小説がメジャーにならない理由

 友人からNHKのETV特集「久米島の戦争~なぜ住民は殺されたのか~」が放映されることを知らされ、先日、再放送された同番組を見た。

 1945年6月、米軍は久米島を攻略するため、住民男性二人を拉致して情報収集を行った。その後二人は解放されたが、日本軍の守備隊は彼らがアメリカに寝返ったのではないかと疑い、二人だけでなく、二人が戻ったことを軍に知らせなかったとして、彼らの家族、さらには村の区長や警防団長ら計9人を処刑にし、その遺体を家屋ごと焼いた。その後も守備隊は、少しでも米軍と接触があった住民を、有無を言わさず次々と殺害、最終的には20人の住民が処刑された。

 番組は米軍資料、新たに見つかった日本兵の日誌、関係者のインタビューなどを元にして、なぜこのような悲劇が起こったのか、事件の深層に迫ろうとしていた。 

 戦後、守備隊長だった元兵曹長は、インタビューの中で次のように語っている。「当時スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、米軍にやられるより先きに、島民にやられてしまうということだったんだ。なにしろ、ワシの部下は30人、島民は1万人もおりましたからね」……戦争は恐怖心を呼び起こし、時にはそれが狂気に変じて人を悪魔的行為に走らせる。

 友人は「スパイ小説でこのようなむごいことが題材として取り上げられることはあるのか?」と私へ質問した。この質問へ回答するには、〝スパイ〟という言葉に対する二つの捉え方について述べる必要がある。

 一つは密かに敵側陣営に潜入し、相手側の情報を盗み出す行為(諜報)、又は自陣の中に潜む敵側スパイをみつける行為(防諜)にイメージされるスパイという言葉だ。そこには隠されているものを探りだす、どこか知的ゲームのような面白さがある。いわゆるスパイ小説が扱うのは、この知的ゲームとして捉えたスパイである。

 もう一方は、「密告」「チクる」「裏切り」「仲間を売る」などの行為にイメージされるネガティブな忌み嫌われるスパイという言葉。労働組合における「会社側のスパイ」や学生運動における「官憲のスパイ」、そして久米島事件におけるスパイなどがこれに当て嵌まる。こうしたスパイに対する感情は恐怖心から湧き起こるので、先に述べたように、スパイとみなされた人物に対して凄惨な仕打ちが科せられる。

 後者のスパイを扱った作品として、ソンミ事件(ベトナム戦争最中の1968年3月、南ベトナムのソンミ村の住民がベトコンに通じているのではと疑ったアメリカ陸軍は、無抵抗の村民数百人を殺害、集落を壊滅状態にした虐殺事件)を下敷きに、民間人大量虐殺の首謀者として裁かれた元軍人が国家を相手に闘うさまを描いたネルソン・デミルの『誓約』(1985年)が挙げられよう。しかし、これがスパイ小説かと問われれば、答えは否である。

 このようにスパイという用語には二つの捉え方があるが、我々が通常、イメージするのは後者の方である。スパイ小説がミステリー小説のようにメジャーにならないのは、そうしたことも理由の一つになっているのかもしれない。