スパイ小説における敵役

 スパイ小説における敵役といえば、何といっても旧ソビエトのKGB。極めて狡猾に相手陣営内に潜入し、また裏切り者に対して執拗で苛烈を極める様は、まさに冷戦時代を象徴する敵役である。

 KGBが敵役の横綱なら、大関はナチスであろう。第二次世界大戦時を舞台にしたスパイ小説の敵役として、ナチスは定番だ。ナチスのスパイが登場する小説の面白さは、主人公であるイギリス人やアメリカ人と、敵役のドイツ人が同じような外見や文化を有していることである。スパイ(小説)にとって重要なことは、誰がスパイであるか分からないこと。味方と敵が似ている=同格(力関係だけでなく、見かけや文化も含めて)であるからこそ、そこにゲーム的な面白さが生じるのだ。

 1970年代になると、ウォーターゲート事件をはじめ、これまでベールに包まれていたCIAの陰謀が次々と明るみになり、主人公の所属する組織(CIA)も敵役として描かれるようになった。

 ポスト冷戦時代は、KGBという好敵手が舞台から去ったため、スパイ小説作家たちは新たな敵役を求め、たとえば、ジョン・ル・カレは『ナイト・マネージャー』(93年)や『ナイロビの蜂』(2000年)で、政府と癒着したグローバル企業を敵役として描かいた。

 そして、2001年に9.11同時多発テロが起こる。それを契機として、イスムラム過激派が敵役として描かれるようになった。しかしがら、イスムラ過激派を敵役とした作品はそれほど多くない。上に述べたように、敵と味方の見分けがつかないところがスパイ小説の面白さの肝であるので、欧米人と容姿や文化が異なる彼らよりも、KGBやナチスが敵役になっているスパイ小説の方が面白さでは勝るのである。

 さて、ここにきてロシアがウクライナ侵攻した。戦車やミサイルによる武力攻撃だけでなく、ゼレンスキー大統領の偽動画を流したり、西側諸国の企業へサイバー攻撃を仕掛けるなど、様々な情報戦術も繰り出している。この戦争を引き起こしたプーチンが元KGB将校たったことを思い起こせば、それも、むべなるかなである。

 今回のウクライナ侵攻を通じて、世界の国民は「やはりロシアは怖い」という印象を持ったはずだ。その結果、ロシアのスパイが再びスパイ小説の敵役の主役として復活してくるに違いない。