町の本屋について

 長引く出版不況の影響を受け、書店が次々と消えている。ある調査会社のデータによると、1990年代末には2万3000店ほどあった全国の書店数が、この20年間で半数以下に減ったという。特に個人経営の小規模店舗(いわゆる〝町の本屋〟)では、その傾向が著しい。

 本好きの人にとっては淋しい限りだし、マスコミもこうした状況は我が国の文化の衰退であると憂いている。しかし、筆者には町の本屋に対する思い入れは、あまりない。昔から大型書店(最低でもショッピングモールに入居するような中規模の書店)の方が好きだった。

 大型書店の方が、圧倒的に在庫点数が多いので、欲しいと思った本は、絶版本でない限り、大概は置かれている。また、売り場面積も広いので、いろいろな本を、たっぷり時間をかけて立ち読み(気に入った本があれば購入)することができ、思いかけない出会いもある。これが筆者にとっては至福のひと時だ。

 一方、町の本屋は総じて売り場面積か狭いので、売れ筋の本しか置いていない。また、店主(店員)が近くにいるので、長時間、立ち読みするのも気兼ねする。特に筆者の場合、中学生のときに経験したあることがトラウマになっている。

 思春期の頃は、ヌードグラビアを見ただけで興奮する。筆者も学校の帰り道にあった本屋で時々エロ本(この言葉も、今では死語になっている)を立ち読みしていたが、あるとき店主からハタキをかけられたことがあるし、また別の日には「立ち読みせんといて!」とストレートに文句を言われたこともある。――こういう経験があるので、立ち読みは店主の存在を近くに感じる町の本屋ではなく、気兼ねなく何時間も過ごすことができる大・中型書店で行うのが専らである。

 ところが、この〝店主の存在〟というのが消えゆく町の本屋の生き残り策でもあるのだ。例えば、トークイベントを開催したり、店主の推し本を紹介するコーナーを設けたり、店主が積極的にお客に話しかけて、お客に一番合った本を薦めるなど、それぞれ独自の工夫を凝らして頑張っている。そして、そうしたことが大型書店にはない、町の本屋ならではのアイデンティティにも繋がっている。

 しかしながら、初めて覘いた本屋で、いきなり店主から「どんな本をお探しですか?」と尋ねられるのは、筆者の場合、ちょっと有難迷惑である。本の立ち読みは、店主や店員の存在を感じることなく、自分のペースでゆっくり時間をかけて行いたい。

〝店主の存在〟は、良きにつけ悪きにつけ、町の本屋にとって切り離せないものである。