映画「愛と哀しみのボレロ」を観て想う

 過去の名作映画を映画館の大スクリーンで上映する「午前十時の映画祭」で、先日、「愛と悲しみのボレロ」という作品を観た。

 1930年代から80年代までのベルリン、ニューヨーク、モスクワ、パリを舞台に、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン、作曲家グレン・ミラー、舞踏家ルドルフ・ヌレエフ、歌手エディット・ピアフをモデルにした四人の芸術家とその子供たちの波瀾に満ちた人生を描いた、フランス映画の巨匠クロード・ルルーシュ監督による3時間を超える超大作作品だ。ラヴェルのボレロに乗ってバレエ・ダンサーのジョルジュ・ドンが踊るラスト15分は圧巻である。

 この映画のテーマは、冒頭に映し出されるアメリカ人作家ウイラ・ギャザーが語った「人生には二つか三つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。その度ごとに初めてのような残酷さで」というテロップに集約される〝繰り返し〟である。 

 直接、第二次世界大戦を経験した1世代の親たちは当然のことながら、2世代の子どもたちも、それぞれ運命に翻弄され、苦労や悩みを抱えて生きている。

 映画では同じ俳優が一人二役で親子を演じていることもあって、観る者を混乱させがちにするが、子供は親の遺伝子を引き継いでいるので、親と似ているのは当然。筆者には、それが却って〝繰り返し〟に相応しく思われた。

 そして、何より同じ一定のリズムの通低音のもと、二種類の旋律が延々と繰り返される「ボレロ」という楽曲自体が、正に〝繰り返し〟の象徴ではないだろうか。

 映画が公開されたのは1981年。当時の国際情勢を見ると、79年末のソ連によるアフガニスタンヘの軍事介入以来,米ソ関係は更に厳しさを増していた。また、イスラエルが正規の手続きを経ずにイラクの原子炉を爆撃したことから、欧州の西側諸国はこぞってイスラエルを非難。さらに、アメリカでは「強いアメリカ」の再現を掲げ、南部や中西部の農業地帯の白人中産階級から絶大なる支持を集めたロナルド・レーガンが、1月に第40代大統領に就任した。

 それから43年経った2024年。ペレストロイカとソ連崩壊によって、ロシアにも漸く民主化が訪れたかのように思えたが、ウクライナへ侵攻し、政府に楯つく者を容赦なく投獄/暗殺するプーチンによって、ロシアは再びソ連時代へ逆戻りしている。イスラエルのガザ侵攻によって、何の罪もない女性や子供たちが犠牲になり、国際世論はイスラエルを激しく非難している。そして、〝アメリカ・ファースト〟を掲げるドナルド・トランプが、地方の白人労働者階級の圧倒的な支持を得て、再び大統領に返り咲くかもしれない。

 歴史は繰り返しである。「愛と哀しみのボレロ」を見て、そんなことを想った。