薩摩飛脚について

 江戸時代、幕府は全国の諸藩へ隠密を潜入させ、藩内の動向を探っていたが、薩摩藩へ潜入させることだけは困難を極めた。

 薩摩藩へ通じる陸路や海路の要所・要所は、蟻一匹も通さない厳重な監視体制が敷かれ、間道や山道を通って入国しようとする者は地元の郷士に密殺された。仮に運よく潜入できたとしても、まるで外国語のような薩摩弁を他国の者が怪しまれずに喋ることは至難の業であったし、公儀隠密であること分かれば直ちに殺された。

 薩摩へ向かった隠密の誰一人として生きて戻ってきた者はいなかったことから、〝薩摩飛脚〟という言葉は、黄泉の国への片道切符という意味で使われていたという。

 薩摩飛脚を描いた小説として、大佛次郎の『薩摩飛脚』(1955年)と南原幹雄の『灼熱の要塞』(1992年)がある。『灼熱の要塞』は、主人公たちが薩摩藩の軍事力の中枢施設の爆破を目指す、映画「ナバロンの要塞」を彷彿させるような、見どころたっぷりのエンターテイメント小説だ。薩摩弁をマスターするため、薩摩江戸藩邸の奉公人を拉致して、彼から薩摩弁を教わるなどスパイ小説としての面白さもある。しかし、その面白さは007的である。同じスパイ小説でも、イアン・フレミングよりも、ジョン・ル・カレやグレアム・グリーンの作品を好む筆者は、ル・カレやグリーンが描くような内容で、薩摩飛脚を読んでみたい。

 他国の者を薩摩人になりすませて同藩へ潜入させるのが難しければ、薩摩人をスパイとしてスカウトしてはどうか。スパイの世界では、相手国の人物をこちららへ寝返らせて、敵国の情報を探ることは、ままあることだ。

 薩摩藩といえども、一つのサラリーマン社会。組織に不満や恨み辛みを持つ者は必ずいるはずだ。そうした人物を薩摩江戸藩邸の中で見つけ、金銭や色仕掛け、あるいは弱みを握って、こちらへ協力させる。そして、彼が薩摩藩へ戻ってから、幕府の求める情報を探るが、スパイであることがばれないか、ばれた彼は無事に薩摩を脱出することができるのか……等々を抑制の利いた落ち着いた筆致で描いたものを読んでみたい。

 筆者に小説を書く才能かあり、もう少し若ければ(現在、筆者は62歳)、こうした作品を書くことに挑戦したかもしれないが、残念ながら、筆者にはその才能も時間もない。誰か代わりに描いてくれないものだろうか。