安倍元首相を殺めた男

 一昨日(2022年7月8日)、安倍元首相が奈良市内で街頭演説中に銃撃され亡くなった。新聞の社説、各政党党首や識者は、皆一様に「民主主義に対する暴挙」とコメントしているが、筆者はこの論調に首肯しかねる。

 政治家に対する凶行については、たとえば、1960年に社会党の浅沼委員長が右翼の少年に刺殺される事件があった。近年では2007年に長崎市の伊藤市長が暴力団の男に射殺されている。しかし、今回の事件については、捕まった犯人の男が供述しているように、安倍元首相の政治信条に対する恨みではなく、ある宗教団体とのトラブルが犯行の動機のようだ。男によれば、彼の母親がある宗教団体にのめり込んで莫大な借金をつくり、このため家族が崩壊したらしい。当初、男はこの教団の代表を狙おうとしていたが難しく、教団につながりがある安倍元首相に矛先を変えたらしい。

 確かに男が言うように、犯行の動機には宗教団体が関係していると思われるが、筆者はそれだけが理由で安倍元首相を狙ったとは思えない。

 男の以前、勤めていたアルバイト先の上司によれば、彼はおとなしい性格だったらしい。しかし、周りとの協調性に欠け、突如キレることがあったという。41歳で無職、独身。人づきあいが苦手で恋人や友人もいず、おそらく親族とも没交渉であろう。孤独で誰にも認められない存在。心の奥底には自分の境遇への不満や社会に対する恨みが鬱積していたに違いない。そうしたルサンチマンが沸点に達したとき、こういうタイプの男の心に宿るのは、自分をのけ者にしている世間に対し、アッと言わせるようなことをして、自分の存在を認めさせたいという衝動だ。昨年12月に発生した北新地ビル放火殺人事件で多くの人を巻き込んで自殺した犯人の男も「死ぬときくらい注目されたい」と言っていたという。

 男が抱く歪んだ承認欲求・英雄願望が、白昼に公衆の面前で一国の元元首を殺めるという行動に駆り立てたのではないだろうか。教団の代表を殺めるより、遥かに世間に衝撃を与え、耳目を集める。

 夜中、アパートの一室で、鉄パイプを鋸で切って自家製の銃を作っていた男(マスコミは男が元海上自衛隊員だということで、いかにも銃器の扱いに習熟しているような扱いをしているが、それは関係ない)は、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』に出てくる、ド・ゴール仏大統領を暗殺しようとする殺し屋、あるいは映画『タクシードライバー』でロバート・デ・ニーロが演じた、ヴェトナム帰りの孤独な元海兵隊員のタクシードライバー(この男は集会に来た次期大統領候補を狙撃しようとする)に自分の姿を重ね合わせていたかもしれない。