薩摩藩へ潜入した熊本藩士

 今年の3月12日付のブログで薩摩飛脚について述べたが、7月3日付の朝日新聞に面白い記事が載っていた。

 熊本藩史の研究を行っている熊本大学・永青文庫研究センターが、1651年に薩摩藩へ派遣された村田門左衛門という密偵の書き記した報告書18カ条を見つけたという記事である。

 同センターによると、税制や財政状況から金山開発の凍結や異国船警備、琉球・八重山の支配、城の石垣の状況、宗教政策まで17世紀の薩摩内の情勢が事細かく記され、熊本藩の情報収集能力の高さを伺わせるものだと言う。

 閉鎖的で秘密主義の薩摩藩の動向に神経を尖らせていた幕府は、隣国の熊本藩に監視と抑え込みを期待した。また、熊本藩もいちはやく薩摩藩の情報を集め、幕府と共有することで、自らのアイデンティティにしたという。

 しかし、それにしても薩摩藩へどうやって潜入したのだろうか? 薩摩飛脚で述べたように、薩摩藩へ潜入するのは容易なことではない。これだけ正確な情報の入手には相当に長く潜入し、薩摩弁も不自由なく使えたに違いない。ただし、薩摩は馬の産地だったので、馬喰なら、その買い付けのため比較的入国しやすかったという。

 ところが、村田門左衛門なる人物の報告書の書きぶりを見ると、密偵に抜擢されるだけの力量と素養を身に着けた人物であることが分かる。馬喰あがりなんかで務まるものではない。密偵ゆえ、家臣団の名簿にも載っていない村田門左衛門とは、果たして、どんな人物だったのだろうか。

 薩摩人以外の人間がいくら流暢に薩摩弁を喋っても、薩摩人から見ると、どこかで違和感を覚えるはず。だとすれば、元薩摩藩士だった人物が熊本藩へ仕えたのか? あるいは、薩摩藩の中に熊本藩へ寝返る人物がいたのだろうか。色々と想像したくなる。