複雑な利害関係『スパイたちの聖餐』 ビル・グレンジャー著/井口恵之訳

文春文庫

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 新聞記者、医師、聖職者などは、その仕事の性質上、自由に国境を越え、様々な立場の人たちと接することができる。そんな彼らの特権に目を付け、かつてCIAは彼らをスパイとして利用していた。

 小柄でやせ衰えた一人の老人がバンコクのアメリカ大使館を訪ねてきた。20年前、カンボジアで布教中に消息を絶ったレオ・ターニーという神父だった。直ちに彼はワシントンへ送還され、CIAによって監禁される。その動きを知ったKGBは、なぜCIAが慌ててターニーを監禁したのか理由を探るため、ベテラン・スパイのデニソフをアメリカへ送った。また、バチカン市国も、なぜ今頃、ターニーが姿を現したのか、そして彼は何を知っているのかを探るため、〝法王の代理〟として若きエリート神父のフォーレを、ターニーが移送されたフロリダの教会へ派遣した。一人の老神父をめぐってCIA、KGB、バチカンが一斉に動き出す。果たしてターニーが握っている秘密とは? いったいCIAは何を恐れているのか?

 スパイ活動のミスにより本国へ召喚され、KGBの容赦ない訊問にさらされた後、名誉挽回のためアメリカへ送られたデニソフ。個人的な理由から取材活動の域を越えてターニーと接触を図ろうとする若い女性リポーターのリマ・マクリーン。CIAの独善を牽制するために設けられたRセクションの優秀なエージェントであるデヴェロー。彼らだけでなく、端役に至るまで、それぞれの背景や心理が掘り下げて描かれ、人物に存在感がある。

 作者のビル・グレンジャーは、デヴェローを主人公としたThe November Man(1979年)でデビューし、1981年に3作目として本作品を発表した。(2作目はアメリカ推理作家協会賞を受賞した『目立ちすぎる死体』という、デヴェロー・シリーズとは別のミステリである) 訳者あとがきによれば、彼のスパイ小説に対して批評家たちはジョン・ル・カレの影響を指摘したという。しかし、明るい太陽の光が降り注ぐフロリダを舞台にしているせいか、ジョン・ル・カレの作品が持つ重々しい晦渋さは感じられない。むしろ、巧みなプロットや意外な結末で読ませるマイケル・バー=ゾウハーの作品を彷彿させる。

 教会活動の自由と引き換えに、ファシスト政権や共産政権に一貫して迎合政策をとってきたバチカン。サイゴン陥落後、共産国家となったヴェトナム政府に取り入って巨大な利権を狙うアメリカ資本など、読者は作品を通じて、政治や経済の裏側にある複雑で怪奇な利害関係を知るだろう。そうしたことを描いているところは、確かにジョン・ル・カレ的なのかもしれない。