フリーマントルが別名義で書いた作品『スパイよさらば』ジャック・ウィンチェスター著/池 央耿訳

文春文庫

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 初老のユヤダ人、フーゴ・ハートマンは、大戦中、妻とともにナチスの強制収容所に入れられていた。妻のゲルダは収容所幹部のラインハルトの愛人として慰み者にされ、それが心の傷になって、戦後、解放されても精神に障害を持つ身となってしまった。フーゴは妻の治療費を稼ぐため、米ソの二重スパイとなったが、頭脳明晰で慎重な性格だったため、今日まで生き延びることができた。最近、その妻が、長い闘病生活の果てに亡くなった。彼はこれを機にスパイを引退し、愛人のレベッカと心の安らぐ静かな生活をおくることを考える。しかし、フーゴは優秀なスパイだったため、アメリカもソビエトも彼を手放なそうとしなかった。自由になるには死亡したと思わせるしかない。彼はニューヨークで、彼の身代わりとなって死んでくれる格好の男を見付けた……。

 本書はブライアン・フリーマントルがジャック・ウィンチェスター名義で、1980年に発表した作品である。原題はThe Solitary Man、直訳すると〝世捨て人〟である。

 フリーマントルは『消されかけた男』のチャーリー・マフィン・シリーズで、キャリアとノンキャリアとの間にみられる確執、あるいは首脳陣の顔色ばかり窺う上司など、スパイ小説でありながら、それをサラリーマン社会にも通じる組織人の人間ドラマとして描いて、我が国でも多くのファンを持つ。本書においてもハートマンの監視員(コントロール)であるCIAのバーマンと、その上役であるウィリアムとの間にそれがみられる。失敗を部下に押し付け、そのくせ、公聴会で、いかにも部下想いであるかのように振る舞うウィリアムの嫌らしさは、まさにチャーリー・マフィン・シリーズに登場する人物である。

 しかし、ハートマンと、彼の息子で精神科医としてゲルタの治療にあたるデイヴィッドとの間の確執には、チャーリー・マフィン・シリーズにみられるような可笑しみは一切ない。確執の原因は収容所時代のハートマンの、息子からみたら絶対に許すことができない卑怯な行為だった。しかし、そうしなかったら、ゲルタもハートマンも生き残ることはできなかったのである。ただし、その代償はあまりにも大きく、ハートマンとデイヴィッドの二人は決してお互い相手に明かすことのできない深い闇を抱えることになった。強制収容所での特異な体験がもたらした悲劇が、作品の通奏低音になっている。

 晴れて計画通り〝世捨て人〟として自由の身となり、残りの人生をレベッカと過ごすため、カナダの隠れ家に彼女を呼び寄せたハートマンは、レベッカから驚くべき真相を聞かされる。それはスパイであるがゆえに背負う残酷な真実だった。打ちひしがれたハートマンが、レベッカに見せた最後の思いやりが何ともやるせない。