スパイ小説とお国柄

 イギリスが本場のミステリは、アメリカへ里帰り(ミステリの生みの親は、アメリカの詩人・小説家、エドガー・アラン・ポーである)して、謎解きよりもタフガイな私立探偵の活躍を描くハードボイルド小説へと発展した。一方、フランスでは、主人公の不安や恐怖など心理描写に重きを置く心理サスペンス、あるいは暗黒街(闇社会)に生きる住人の犯罪を描いたロマン・ノワールなどの変格ものが主流となった。同じようにスパイ小説も、英米仏、それぞれの国によって、お国柄の違いがみられる。

<イギリス>

 スパイ小説の本家は、なんといってもイギリスである。ジョン・バガン、エリック・アンブラー、グレアム・グリーン、ジョン・ル・カレ、イアン・フレミングなど、主だったスパイ小説作家は、皆イギリス人である。なぜ、スパイ小説は特にイギリスで発展したのだろうか?

 国際ジャーナリストの山田敏弘は『世界のスパイから喰いモノにされる日本』(前掲)の中で、「イギリスは世界中で領土を拡張し、インドやアフリカなど、世界各地で情報収集してきた歴史がある。大航海時代をはじめ世界に商機を見出した列強として、世界情勢の実態を知るのは不可欠で、インテリジェンスの文化が早くから根付くのは当然だったのかもしれない」と、スパイ活動に対するイギリスのアドバンテージを、歴史的背景から述べている。また、国民的な気質も関係しているであろう。紳士・淑女たらんとして、内面の感情を露わにするのを慎む国民性(それゆえ、彼らは一見、よそよそしい)は、表の顔と裏の顔を併せ持つスパイと相性がよい。また、ユーモア(どちらかといえば、ブラックユーモアや皮肉だが)を好む気質も、彼らの悪戯やトリック好き(それゆえ、謎解き主体の本格派ミステリはイギリスが十八番(おはこ)である)なところに表れており、それが諜報戦においてもみられる。例えば、第二次世界大戦最中の1943年、連合軍がシチリア島へ反攻するのを秘匿するため、イギリスが行った欺瞞作戦(「ミンスミート作戦」と呼ばれている)などはその好例。この作戦のために病院から取り寄せた死体をイギリス海軍情報部は、イギリス海兵隊のマーチン少佐に仕立て上げ、連合軍の反攻予定地をギリシャだと思わせる偽物の作戦計画書を携行させて、スペインの沿岸に漂着するように沖合へ投棄した。その水死体を検分したスペイン当局から、件の作戦計画書の情報が友好国のドイツへ知らされ、ベルリンはギリシャが連合軍の反攻上陸地点だと信じ込んだのである。実在しないマーチン少佐のカバーストーリーを作り、それに合わせて死体に装飾を施していく作業を、イギリス海軍情報部は愉しみながら行っていたのではないだろうか。いかにもイギリス人らしい、どこかユーモアを感じさせる作戦である。

 歴史的背景、国民的気質に加えて、文学的な嗜好も、イギリス人のミステリやスパイ小説好きな要因として挙げられる。文芸評論家の北上次郎は『冒険小説論』(1993年 早川書房)の中で、翻訳家の田中西次郎の「〝不愉快〟の文学」という文章を引用し、紳士たるイギリス人は、〝愉しからざること〟を内に耐えるから、それは精神内部で化膿し、腐乱する。その社会的な表れが犯罪であり、スキャンダルである。それを覗き込むのは恐ろしいが、同時にそれは内心の膿を切開する快感・カタルシスの作用がある。故にイギリス人は、探偵小説、怪奇譚、冒険譚、スリラー、スパイ物語等を愛好し、〝愉しからざることを愉しむ〟のだと述べている。

 イギリスのスパイ小説には、007のような冒険活劇タイプのものから、ジョン・ル・カレが描くシリアスなものまで、実に多くの幅広い作品がある。しかしながら、キム・フィルビー事件(キム・フィルビーという英国秘密情報部の将来を嘱望されていたエリート幹部が、ケンブリッジ大学の学生だった1930年代にソビエト共産党にリクルートされ、以後、1962年にソビエトへ亡命するまで、実に三十年余りの長きに亘ってソビエトの二重スパイだったという、西側社会を震撼させた事件)がイギリス国民に与えたショックは大きく、それがトラウマとなって、この事件以後に発表されたイギリスのスパイ小説には、何らかの形でそれが影を落としている。同国のスパイ小説に「欺瞞」や「裏切」を描いたものが多いのは、〝愉しからざることを愉しむ〟文学的嗜好の表れであろうか。

<アメリカ>

 アメリカの代表的なスパイ小説作家といえば、ロバート・リテルであろう。『ルウィンターの亡命』(1973年)や『迷い込んだスパイ』(1979年)など、スパイ戦をゲームになぞらえ、どこか風変わりな登場人物たちが織り成す軽妙洒脱な作風が持ち味である。しかし、この作風がアメリカのスパイ小説の特色ではない。アメリカのスパイ小説らしさは、彼の『スリーパーにシグナルを送れ』(1986年)や『最初で最後のスパイ』(1990年)の方で見ることができる。前者はスリーパーを利用して、ある要人を暗殺しようとするCIAの陰謀に気づいた、このスリーパーの指導教官が、それを阻止するために奔走する物語。後者はCIA内部で行われている陰謀を見つけた、CIAの盗聴技術者が、同じく、それを阻止しようとする物語。ともにCIAが敵役として描かれているが、これこそがアメリカのスパイ小説の特色である。この国のスパイ小説はCIAを抜きにして語ることはできない。

 グアテマラの政権転覆作工作(1954年)、反カストロ亡命キューバ人部隊を組織して、キューバに侵攻し、大敗を喫したピッグス湾事件(1961年)、マフィアやカストロの元恋人などを利用した夥しい件数(実に638件と言われている)に及ぶカストロ暗殺未遂事件、敵対する民主党本部に盗聴装置を仕掛けようとして、結果的にそれを指示したニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件(1972年)など、CIAは国民の目の届かないところで数々の陰謀を行ってきた。しかし、そうした陰謀が議会で明るみになるにつれ、アメリカ国民のCIAに対する信頼は薄れ、CIAは不気味で怖い組織だと思われるようになった。そうした国民感情を反映してか、例えば、ブライアイン・ガーフィールドの『ホップスコッチ』、ジェームズ・グレイディの『コンドルの六日間』(1974年)、オレン・スタインハウアーの『ツーリスト―沈みゆく帝国のスパイ』など、雇い主であるCIA(あるいはCIA内部の一部グループ)が敵役となり、たった一人でそれに立ち向かう主人公を描いた作品が、特に70年代以降、多くみられるようになった。

 アメリカ人がこうした主人公に惹かれるのは、「ヒーローを好む」国民性であろう。『冒険小説論』(前掲)は、そのことを「西部が法の外にあったからこそ無法者ヒーローが成立し、あるいは家族を自分の力で守るしかないというヒーロー・イメージが初期アメリカで形成されたことはここに確認するまでもない。このことこそアメリカン・ヒーローの特色であり……」と指摘している。ちなみに、アメリカでハードボイルド小説が生まれたのも、また、銃規制がいまだに進展しないのも、彼らアメリカ人の根っこに、開拓時代からのDNAである「正義は自分の力で守る」という感覚があるからであろう。「正義は自分の力で守る」という考えは、持つ力が強ければ、「正義のためなら力づくも辞さない」という考えになる。南米の共産政権を転覆させることや、自分たちの組織の弱体化を図る元首を排除することは、CIAにとって正義であり、そのためなら、武力行使や暗殺(ケネディ大統領暗殺事件にCIAが絡んでいることは間違いない)も躊躇わない。このように、CIAが諜報機関としての本分を超えた、影の政府のような組織になったのも、力づくで、自分たちの正義や価値観を押し付けようとするアメリカ人の傲慢性、行き過ぎたヒロイズムの結果といえよう。CIAは、彼らのそうした国民性が生み出した鬼っ子なのかもしれない。

 ところで、ウィリアム・H・ハラハンの『亡命詩人、雨に消ゆ』(1977年)の主人公は、元CIAの敏腕工作員だったが、任務の失敗で組織を追われ、今は酒浸りの日々をおくっている。彼はかつての上司から、ある任務を秘密裏に依頼され、一発逆転を賭けて、それに応えようとする。アメリカのスパイ小説には、このような、上司との衝突やトカゲの尻尾切りによってCIAを去った主人公が、職場仲間から依頼された任務を通じて、元の職場へ復帰を果たす(中には職場復帰の打診を断り、新たな人生を歩む主人公もいるが)作品もよくみられる。ヒーローを好むアメリカ人は、不遇な状況にある主人公が困難を乗り越えて、再起を果す物語も好きなのだ。

<フランス>

 フランス人も結構、スパイ小説が好きである。その第一人者はピエール・ノールだと言われており、彼の『抵抗の街』(1937年)は本サイトの書評でも取り上げている。同作品以外に我が国で翻訳されたものとして、1973年にユル・ブリンナーが主演で映画化された『エスピオナージ』(1971年)がある。ピエール・ノールは二つの世界大戦に参加し、対独諜報戦を指揮した経歴を持つ人物。その経験に基づく彼の作品は、シリアスなスパイ小説である。しかし、シリアスなスパイ小説はフランスでは例外であり、この国では、むしろジャン・ブリュースの<117号>シリーズ、ドミニック・ポンシャルディエの<ゴリラ>シリーズ、ジェラール・ド・ヴィリエの<SAS>シリーズなど、お色気とアクションシーンにあふれた冒険活劇型スパイ小説の方が主流である。

 フランスでシリアスなスパイ小説が育たなかった理由は、フランスの大衆小説が「デュマからルパンに流れるフィユトン(新聞小説)の系譜である」(『冒険小説論』)ことに関係している。新聞小説は、毎回、読者を飽かさずに読ませるため、起伏や変化に富んだストーリー展開で、分かりやすくてテンポの早いものが求められる。本格派ミステリやシリアスなスパイ小説は、新聞小説には不向きなのだ。

 冒険活劇型スパイ小説と合わせて、フランスのスパイ小説のもう一つの特色が「ロマン・ノワール(暗黒小説)」の流れである。ロマン・ノワールもフィユトンの系譜に連なるものだが、特に十九世紀中頃のパリには、地方から流入してきた貧困に苦しむ労働者が多数いて、贅沢な生活をおくる貴族階級への不満を鬱積させていた。「俠盗の活躍が読者の喝さいを浴びるのは、読者大衆の中に現実社会に対する不平不満が潜在化していた」(『冒険小説論』)からであり、それがアルセーヌ・ルパンを生み、ロマン・ノワールへと発展していく下地になったという。「俠盗」の活躍は「密偵」の活躍に変じ、ひいては「諜報機関」のアンダーグランドな陰謀も描かれるようになった。ギイ・テセールの『女テロリストを殺せ』(1980年)は、カトレーヌ・アルレーの『わらの女』(1956年)のような、主人公が徐々に罠に陥れられていく心理サスペンスが醍醐味の作品であるが、罠を仕掛けた諜報機関側の視点に立てば、まさにロマン・ノワールである。また、フランシス・リックの『奇妙なピストル』(1969年)はスパイ小説であると同時に、脱獄犯の逃亡を描いた同じ作者による『奇妙な道づれ』(1973年)と同種のロマン・ノワールとして、読むこともできる。

 最後に、フランス産スパイ小説の特色として、「笑い」の質を挙げたい。フランス映画に見る笑いと、ハリウッド映画に見る笑いが、どことなく異なるように感じているのは筆者だけではあるまい。シャルル・エクスブライヤの『火の玉イモジェーヌ』(1959年)は、ヒロインである赤毛の猛女イモジェーヌが、勘違いと暴走により周囲を大混乱に陥れながらもスパイ逮捕に貢献するユーモア・スパイ小説だが、登場人物の一人であるキャランダー村に駐在する巡査部長の災難が笑いを誘う。巡査部長が唯一の楽しみにしているのがチェス。彼がチェス盤を広げる度に、突拍子もないことを言って飛び込んでくるイモジェーヌ嬢に邪魔される場面が、忘れた頃に、繰り返し出てくる。植草甚一は『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(1972年 晶文社)で、「それはアメリカ式なギャグのようなドシリとくるようなものではなく、フンワリとしていて、これが積みかさなっていく展開がフランスの読者には楽しいのである」と述べている。爆笑を誘発するのとは一味違う、ニヤリとさせられるおかしみが、繰り返されるのがフランスの笑いであり、これがスパイ小説においてもみられる。

<その他ヨーロッパ>

 イギリス、アメリカ、フランス以外の国では、スパイ小説はどういう状況なのだろうか? 筆者の知る限り、我が国で翻訳されているドイツ人作家によるスパイ小説は見当たらない。(『白い国籍のスパイ』、『白い壁の越境者』を著したJ・M・ジンメルはオーストリアのウィーンで生まれ、イングランドで育ったというから、彼の作品を純粋なドイツのスパイ小説と呼べるのかどうかは疑問) また、ロシアでは、ソビエト時代に発表されたユリアン・セミョーノフの『春の十七の瞬間(とき)』(1973年)が唯一、我が国で翻訳されている同国(ソビエト)のスパイ小説であるが、それ以外は見当たらない。

 どうやら、スパイ小説もミステリと同様、イギリス、アメリカ、フランスが中心であるようだ。この三国でミステリが育ったのは、巷間よく言われるように、デモクラシーが成熟した国家だからである。自白を強要するような全体主義国家では、客観的な証拠に基づいて犯罪を立証することが前提であるミステリは成立しない。ミステリが民主国家のバロメーターだと言われる所以である。確かに戦後の西ドイツ、現在のドイツ連邦共和国も民主的な国家であるが、国民性はそんなに変わるものではない。秩序を重んじ、勤勉で誇り高きドイツ人の気質は、同じヨーロッパ人であっても、イギリス人やフランス人に比べて、全体主義を受け入れやすい体質を持つのではないか。それがドイツでミステリやスパイ小説が育たなかった理由だと考えられるが、『ミステリーの社会学』(高橋哲雄 1989年 岩波新書)では、そのことを彼らの宗教から論じている。

 即ち、プロテスタントは怠惰や娯楽(娯楽や暇つぶしの書物=悪書も含まれる)を敵視してきた教派であるが、ドイツやスイスなどと違って、イギリスにおけるプロテスタントは〝悪書〟に対しても鷹揚で寛容的なイギリス国教会が多数を占めている。「ドイツやスイスのようなプロテスタント国が探偵小説不在の国になった一因はその辺にある」(高橋哲雄)というのだ。

探偵小説が不在の国では、当然ながら、スパイ小説も育たない。

<日本>

 本サイトの書評で取り上げているのは欧米のスパイ小説であるが、日本のスパイ小説についても、総論として触れておきたい。

 一般に日本の近代的なスパイ小説は、中薗英助の『密書』(1961年)、結城昌治の『ゴメスの名はゴメス』(1962年)、三好 徹の『風は故郷に向う』(1963年)をもって、幕開けとされている。

 『密書』は、スカルノ大統領政権下のインドネシアを舞台に、インドネシア賠償協定成立の利権を求めて暗躍する日本人商社員を描いた作品。『ゴメスの名はゴメス』は、失踪した同僚を探すため、内戦下のヴェトナムへ出向いた商社員の主人公が、現地の熾烈なスパイ戦に巻き込まれる作品。『風は故郷に向う』は、自動車メーカーに勤める主人公が、革命直後のキューバで失踪した妹夫婦を探すうちに、国際的な謀略に巻き込まれる作品。奇しくも、三作品とも普通の日本のサラリーマンが、国内ではなく、海外で政治紛争に巻き込まれるスパイ小説である。中薗英助は『スパイの世界』(前掲)で、「スパイ防止法のないわが国では、(中略)この国家的な秘密を持つまいとする原則は、あたかも戦争放棄を根底とする非核三原則と同じようなもので、機密を作らず持たず使わずという非秘三原則の主張に通じるのではないか。(中略)現代の日本を舞台とし、欧米流のスパイをヒーローとする狭義のスパイ小説が生まれ得ないのは、右のような前提があるからである」と指摘している。このため、三作品とも優れたスパイ小説であるにもかかわらず、舞台が海外ということもあってか、身近なものとして感じ得ず、一部のファンからしか読まれていない。近年では、麻生幾の『ZERO』(2001年)や濱 嘉之の警視庁情報官シリーズなど、現在の日本国内を舞台としたスパイ小説もみられるが、いかんせん公安警察の活動(即ち諜報の世界)は、「スパイ小説の魅力」の冒頭で触れたように、我々には馴染みのない世界である。前述の『ゴメスの名はゴメス』(中公文庫版)の巻末解説で、文芸評論家の向井敏は、「1920年代からソ連情報機関に浸透され、キム・フィルビー事件をはじめとするスパイ疑惑事件がしばしば起きていたイギリスや、CIAのような巨大な情報機関を擁するアメリカなどとくらべてみて、スパイというものに現実味がない日本でスパイ小説を書くことがいかにむずかしいか、想像に余る」と述べている。

 では、日本人による日本を舞台としたスパイ小説で、ジョン・ル・カレやグレアム・グリーンが書くような作品は育たないのだろうか? 筆者の私見になるが、舞台を時代小説にすることによって活路が拓けるように思う。

 中薗英助が言う〝非秘三原則〟の立場をとる現在の我が国では、建前上、敵対勢力へ潜入するスパイは存在しない。また、敵対勢力からの浸透も―こちらは、ロシアや中国のスパイなど現実に存在するが―我々一般市民とは無縁である。そういう状況下でスパイの暗躍を描いても、向井敏が指摘するように、非現実的なものになってしまう。読者は自分たちが暮らす現代の日本社会に視点を置いて作品と接するため、それとの乖離があれぱ、否が応にも目に付いてしまうのだ。ところが、舞台を時代小説にすると、読者の視点もその物語で描かれている世界に置かれるため、その世界の出来事が、現代の日本社会ではあり得ないことであっても、気にならない。時代小説でスパイといえば〝忍者〟であるが、忍者を登場させることによって、敵対勢力への潜入や敵対勢力からの浸透という状況設定にも、違和感なく入り込めるのである。

 忍者を描いた時代小説では、山田風太郎の忍法帖シリーズが一時、ブームを巻き起こしたが、一般に時代小説で描かれる忍者は、黒装束に身を固め、手裏剣や妖術まがいの忍術を使い、超人的な身体能力を持つ者と相場がきまっている。(「忍者の実像を活写した」と言われる司馬遼太郎の『梟の城』でさえ、忍者をそのように描いている)そうした忍者は、ほとんどが小説や時代劇で作りあげられたイメージであり、実際の忍者は、「透波(すっぱ)」や「乱波(らっぱ)」と呼ばれ、群雄割拠の戦国時代、敵国領内に潜入し、市中に紛れて、領内の内情を探っていた人たちだ。黒装束では怪しまれるので、行商人や大道芸人などを装って、街中の人たちから噂話などを集めたり、領内に不安を煽るデマを流したりしていた。色んな人と気安く話しをするめには、社交的で如才ない性格が適していたであろう。(これは、洋の東西を問わず、全てのスパイに共通した資質である) こういうリアルな姿の忍者を描いた小説を読んでみたい。あるいは忍者の代わりに隠密でもよい。

 隠密については、南原幹雄が多くの作品を描いているが、それらは派手なチャンバラ・シーンが満載の冒険活劇型タイプである。そのようタイプのものではなく、ジョン・ル・カレやグレアム・グリーンのスパイ小説を隠密版にしたもの―たとえば、藩の中に幕府の隠密が潜入しているという疑心暗鬼と、その隠密をあぶり出すためのスパイ狩り。一方、隠密側に視点を移せば、正体が露見するかもしれないという不安や、いかに怪しまれずに藩から脱出するか―そうした心理サスペンスに重きを置いたシリアスな作品を、是非、読んでみたいものだ。そういう意味では、志賀直哉の短編小説『赤西蠣太』(赤西蠣太という伊達藩を内定していた隠密が、任務を終え、怪しまれずに藩を去るため一計を案じた。それは醜男の自分が、藩中、随一の美人と言われる、ある腰元に附文〔ラブレター〕をする。当然、振られるはずだから、面目が潰れたことを理由に逐電すれば、怪しむ者はない。ところが、予想に反して、その腰元から返ってきたのは、色よい返事だった…)などは、優れたスパイ小説であると思うのだが、いかがであろう。