スパイ小説の歴史

 スパイ小説の歴史を解説したものとして、たとえば、植草甚一の『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』(1978年 早川書房)の第4章「ちいさな教室で10回もやった探偵小説の歴史の講義」、権田萬治編の『趣味としての殺人』(1980年 蝸牛社)に収載されている石川喬司の「スパイ小説の系譜」、ブライアン・フリーマントルの『消されかけた男』(1977年 新潮文庫)の訳者・稲葉明雄による巻末解説など、優れた論評がいくつかある。詳細はそれらに譲るとして、そこで述べられていることを踏まえて、スパイ小説の歴史について概括しておきたい。

 スパイ小説は冒険小説から派生したものである。だからであろう、第一次世界大戦前までのスパイ小説の殆どは、クローク&ダガー・タイプ(マントのような外套(クローク)を纏い、短剣(ダガー)を帯びていたことから、このように呼ばれている)の浮世離れしたスパイ・ヒーローを主人公にした勧善懲悪型の荒唐無稽な冒険活劇だった。

 第一次世界大戦が勃発すると、その数年前からイギリス国内で暗躍していたドイツのスパイの脅威がさらに増し、それに警鐘を鳴らすジョン・バカンの『三十九階段』(1915年)や、大戦中に自身が勤務した秘密情報部での経験をもとにしたサマセット・モームの『アシェンデン』(1928年)など、それまでのものとは一線を画す、現実のスパイの脅威や実際のスパイ活動を描いた作品が登場する。

 第一次世界大戦が終わって第二次世界大戦が起こるまでの〝ファシズムの台頭するヨーロッパに戦争の危機と不安が渦巻く時代〟(中薗英助『スパイの世界』1992年 岩波新書)は、日常社会の中に列強諸国のスパイが潜んでおり、彼らの謀略に巻き込まれる市井人を主人公とした、新たなスパイ小説(近代スパイ小説)の分脈が、エリック・アンブラーによって拓かれた。

 第二次世界大戦を経て諜報機関は、さらに高度化・機能化し、冷戦時代になると、西側陣営の諜報機関(アメリカのCIAやイギリスの秘密情報部〔一般にSIS又はMI6と呼ばれている〕など)と東側陣営の諜報機関(ソビエトのKGBや東ドイツのシュタージなど)との間で熾烈なスパイ戦が繰り広げられるようになった。それに呼応して、スパイ小説も、ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963年)のような、もはや個人レベルではなく、組織による戦いを描いたシリアスなスパイ小説が登場する。

 しかし、その一方で、ハンサムで超人的な能力を持つ主人公が、捕らわれの身となったヒロインを救出し、悪の化身を退治する物語は、アラビアンナイトや中世の騎士道物語などと共通する、人類が大昔から物語に求めてきたプリミティブな欲求(単調な日常生活をひと時でも忘れて、心を躍らせるような冒険や恋愛を経験したいという欲求)に応えるものである。それゆえ、〝現代の十字軍騎士〟(007シリーズの翻訳で知られる井上一夫が『冒険・スパイ小説ハンドブック』〔前掲〕の中で、そのように譬えている)たるジェームズ・ボンドが活躍する冒険活劇型スパイ小説は、その後、雨後の筍のように発表された亜流も含めて、〝二十世紀の英雄物語〟として広く大衆に支持され、1950~60代に隆盛を極める。

 1970年代になると、デタントによる米ソの緊張緩和の影響により、スパイ小説の敵役はソビエト一辺倒ではなく、『ホップスコッチ』(1975年)のような主人公の所属する組織(CIA)自身が敵役となる作品が生まれた。

 冷戦が終焉し、ポスト冷戦時代になると、スパイ小説の作家たちはKGBに代わる新たな敵役を求め、たとえば、ジョン・ル・カレは世界を股にかけた武器商人(『ナイト・マネージャー』1993三年)や、多国籍製薬会社(『ナイロビの蜂』2000年)など、政府と癒着したグローバル企業の暗躍をスパイ小説で描いた。そして、当然のことながら、2001年に起こった9.11同時多発テロ事件以後は、イスムラ過激派がKGBの跡を継ぐスパイ小説の敵役として、その地位を占めるようになった。

 その一方で、かつての栄光を取り戻そうとするCIAの陰謀を描いたオレン・スタインハウアーの『ツーリスト―沈みゆく帝国のスパイ』(2009年)、落ちこぼれのスパイ集団がエリート集団にリベンジを図るミック・ヘロンの『窓際のスパイ』(2010年)など、デタント時代とは異なる新たな切り口で、所属する組織との闘い描いた作品も出現する。

 そして、冷戦の終焉から三十年たった今日、〝新冷戦〟と呼ばれる新たな緊張状態が二つの大国によってもたらされている。一つはロシア。「大国ロシア」の復権を掲げるプーチンの強硬路線が欧米との確執を再び招いている。翻訳家の国弘喜美代によれば、KGBの後継組織であるSVR(ロシア対外情報庁)によるアメリカへの浸透は、冷戦時代をも凌ぐと言われており、カレン・クリーヴランの『要秘匿』(2018年)のような、あらたなロシア・スパイとの暗闘を描いた作品も生まれた。

 新冷戦時代のもう一つの大国は中国である。伸長著しいこの国はアメリカと経済的な対立を深め、両国間で激しい覇権争いを演じている。このためか、CIAに潜入していた中国人スパイや、留学生を装って、アメリカの大学で最先端の技術情報を集めていた人民解放軍に所属する軍人や技術者が逮捕されるといったニュースが、最近、目に付くようになった。スパイ小説の世界においても、アメリカの行政機関や大学内に浸透するチャイニーズ・スパイの脅威を描いたものが、今後、出てくるだろう。

 さらに、もう一つ、昨今のスパイ活動を語るうえで無視できないのが、〝サイバーテロ〟の存在。サイバーテロとは、インターネットを通じて、相手のコンピューターシステムへ不正に侵入し、情報を盗んだり、システムにダメージを与えたりすること(「ハッキング」という)である。デジタル社会の今日、サイバーテロによるスパイ工作が活発に行われており、我が国の行政機関や企業に対しても、中国や北朝鮮からの不正アクセスが頻発している。まさに「サイバー工作こそ、これからのインテリジェンス活動」(山田敏弘『世界のスパイから喰いモノにされる日本』2020年 講談社α新書)といえよう。そうした時代を反映して、スパイ小説の世界においても、天才的なハッキング能力をもつ少年がアメリカの国家安全保障局に侵入する、フレデリック・フォーサイスの『ザ・フォックス』(2018年)のような作品が発表されている。

 推理作家の山口雅也は『ミステリー倶楽部へ行こう』(2001年 講談社文庫)の中でジョン・ル・カレの『ロシア・スパイ』を取り上げ、スパイ小説の今後について次のように語っている。

 「西欧でこれほど熱心にスパイ小説が書かれ、読まれてきた背後には、冷戦云々以前に、西欧社会を築いたキリスト教文化の罪の意識が沈殿しているように思う。(中略)西欧作家の意識の底に、神なき時代のユダを描くという動機が存在する限り、ポスト冷戦の時代にもスパイ小説は命脈を保ちつづけるのだろう」

 ポスト冷戦どころか、この先も、その時代を映して、スパイ小説は連綿と書き続けられていくに違いない。