スパイがもたらす情報の危うさ 『ハバナの男』 グレアム・グリーン著/田中西二郎訳

早川書房

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 キューバ革命前のハバナ。電気掃除機の販売を営むイギリス人のワーモールドは妻に離縁され、17歳の娘、ミリィーと二人で暮らしていた。ある時、ホーソンと名乗る男が接触してきて、ワーモールドが愛国的なイギリス人であり、ハバナに長く暮らして地域に溶け込んでいることを理由に、本国イギリスの諜報員にならないかと誘った。ワーモールドは、最初、相手にしなかったが、年頃の娘を持ち、何かと入り用なため、この誘いに応じた。

 報酬を受け取る以上、それに見合う仕事をしなければならない。娘が入会した乗馬クラブの会員名簿から適当に選んだ大学教授や技師の名前を並べて、工作員に採用したことにし、経費を請求する。さらには、工作員のパイロットが山間部で核兵器施設を発見したとでっち上げ、挙句の果ては、商売道具である電気掃除機の分解図をスケッチし、新型兵器の詳細図としてホーソンへ送った。

 ところが、ロンドンはそれらを信じてしまう。そして、ワーモールド一人では手に負えない事案だと判断し、ビアトリスという美人で頭のきれる秘書を送り込んできた。ワーモールドは嘘がばれないかと焦るが、偶然にもタイミング良く、ある飲んだくれのパイロットが自動車事故で亡くなり、また諜報活動と何の関係もない技師が射殺されたことにより、秘書の目には敵方がワーモールドの諜報網を潰しにかかってきたように映り、彼の報告は、俄然、信憑性を帯びてきた。と、同時に本物の敵方もワーモールドを正真正銘のスパイだと思い始め、彼を消そうと動き出す……。

 本書の主題はスパイがもたらす「情報の危うさ」である。イギリス本国がワーモールドの嘘を、いとも簡単に信じたのは、スパイが掴んだ秘密情報は、そのスパイしか知らないというパラドックスである。中薗英助は、そのことを「秘密というもののアホラシサを喝破していて卓抜している」(『闇のカーニバル』1980年 時事通信社)と評している。さらに、嘘の可能性がある情報であっても、本当であって欲しいと願う組織の心理も、〝危うさ〟の要因であろう。せっかくお金をかけて調査したのに、「何もありませんでした」では通らない。投資に見合う成果が求められるのだ。

 ワーモールドの描いた図面に半信半疑だったホーソンは、偶然が重なってワーモールドの報告が真実に思えた時、「他機関の奴らがきみを殺そうと決心したことがわかったんで、ある意味では俺もホッとしたね。…(中略)…だってそうだろう、これほど、あの図面が本物だという確かな証拠はないからな」(訳者)と上機嫌である。核兵器施設が存在しないことが望ましいはずなのに、存在することに喜ぶ。この馬鹿らしさこそ、諜報機関のレゾンデートル(存在理由)にほかならない。

 スパイ活動の本質を黒い笑いと痛烈な風刺で描いた傑作である。発表は1958年。1年後にキューバ革命が起きている。