高村 薫が嫉妬したスパイ小説 『パーフェクト・スパイ』ジョン・ル・カレ著/村上博基訳

ハヤカワ文庫

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 英国秘密情報部のマグナス・ピムは父の葬儀のため、ウィーンの大使館から一時、ロンドンへ戻ったが、その後、忽然と姿を消してしまった。事態を重く見た情報部は直ちに捜査を開始。一方、その頃、ピムはイギリスの片田舎にある隠れ家に籠って、これまでの自身の半生を綴っていた。徐々に明らかになっていくピムの過去。なぜ彼は失踪したのか?

 この作品は他のジョン・ル・カレの作品にみられるような、西側対東側の息詰まるような諜報戦はない。ここにあるのはマグナス・ピムの育ってきた環境を辿ることによって、いかにして、一人の男がスパイになったかを知る壮大な物語である

 ピムの父親、リックは詐欺師だった。彼の意向で、ピムはパブリックスクールを経てオックスフォード大学に進学するが、父のいかがわしい仕事のため、スイスのベルンにある大学へ移るはめになる。卒業後、独語が堪能なことから、ピムは情報部にスカウトされる。

 ヤクザ者で暴君でもあった父の機嫌を損ねないようにするため、ピムは幼い頃から嘘をつくのが上手だった。その才能はパブリックスクールで、さらに磨かれる。元NHKワシントン特派員の手嶋龍一は『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』(2016年 マガジンハウス)の中で、パブリックスクールの生徒は寄宿生活をおくるので、「誰よりも言葉巧みに人を魅惑し、誰よりも上手に感情を押し隠し、誰よりもうまく自らの足跡を消し去ってしまう」と書いている。そんな環境で育ったピムにとって、嘘で覆われた情報部の仕事は、まさに水を得た魚であり、完璧なスパイとなっていくのだ。

 この作品はジョン・ル・カレの自伝的色彩の濃い小説である。リックのモデルが詐欺師だった父親のロニー・ワールドだということは疑いようもないが、ピムは必ずしも作者がモデル確かに一部はそうだろうがだとは思えない。むしろ、キム・フィルビーをモデルにしているのではないだろうか。

 キムの父親、シンジャン・フィルビーも、手嶋の同書によれば、エキセントリックな人物だったらしい。幼少期をそんな父親に育てられたキムは、その後、ケンブリッジ大学へ進み、その時期に共産主義に感化し、ソビエトのスパイになった。背景にホモセクシャルな友情が影響していることや、ハンサムで愛想がよく、外交官や職場仲間が集まるパーティーの席で常に人気者だったということも、キムとピムの両者に共通している。

 本作品もジョン・ル・カレの作品の例に漏れず、頻繁に視点、場所、時間軸が変わるので読みづらい。しかし、それを乗り越え最後まで読み通せば、読後、しばらく動けないような深い感動を味わうだろう。作家の高村 薫は巻末の解説で、間然する所がないこの作品に対し、同じ物書きとして「嫉妬に狂った」と白状している。