チェスゲームになぞらえる諜報戦『ルウィンターの亡命』ロバート・リテル/菊池 光訳

ハヤカワ文庫

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 19世紀末から20世紀初頭にかけて、中央アジアで繰り広げられたイギリスとロシアによる熾烈な諜報戦を、チェスになぞらえて〝グレートゲーム〟と呼んでいる。第二次世界大戦の帰趨を決したノルマンディー上陸作戦に際して、連合軍が展開した諜報活動―逮捕したドイツ側スパイを二重スパイとして寝返らせて、偽の情報をドイツ本国へ送信させたり、イギリス東南部に偽装した軍団を配置して、あたかもフランス北部のカレーへ上陸するように見せかけたりする作戦も、偉大な〝ゲーム〟といえよう。相手の裏をかいて騙そうとする諜報戦は、まさにチェスのような、ある種のゲーム的な要素を持つ。

 アメリカのミサイル科学者、ルウィンターが最新型核兵器の弾道計算に関る極秘情報を持ってソ連へ亡命した。しかし、ソ連側は彼が持って来た情報の真偽が分からない。その情報を信じて、自国のミサイル防衛システムにそれを導入し、もし、偽物だった場合、ソ連の軍事力は手痛いダメージを被る。関係者の粛清、少なくとも最初にルウィンターを面接し、彼をモスクワへ紹介したKGB部員、ボゴディの処刑は間違いない。

 一方、ルウィンターの亡命を知って慌てたアメリカは、彼が持ち出した情報がどんなものであるか調査を始めた。オーソン・ウェルズの映画『市民ケーン』やヒラリー ウォーの警察小説『この町の誰かが』のような、関係者の証言によって渦中の人物を描く手法が、ルウィンターの人物像を浮かび上がらせていくのに効を奏している。

 調査の結果、ルウィンターが持ち出した情報は、どうやら本物であることが分かった。そこで、アメリカはルウィンターを偽装亡命者に仕立て上げ、敵側に渡った情報を無効にする作戦に打ってでる。その中心人物が「おれは生きている人間を使ってチェスをやることを、よく夢に見る」と言う、CIA情報局の切れ者、リオ・ダイヤモンドだった。

 本書は、アメリカの代表的なスパイ小説作家の一人であるロバート・リテルが1973年に発表したデビュー作であり、同年の英国推理作家協会賞を受賞した作品である。

 訳者(菊池 光)の「あとがき」にもあるように、この時期は米ソのデタント時代であり、同時にウォーターゲート事件をはじめ、これまでベールに包まれていたCIAの秘密工作が次々と明るみに出て、CIAに対する世間の目が厳しくなっていた頃でもある。本作品でも、単純にKGB=悪、CIA=正義という構図では描かれていない。 敵側に渡った情報をどうやって無効にするのか? ダイヤモンドが打った手は、本物に見えるのが偽物で、偽物に見えるのが本物というパラドックスだ。しかし、狡知に長けたダイヤモンドとボゴディの二人なので、お互いに相手の裏をかこうとして、一筋縄ではいかない。果たして、このゲームで相手を〝チェックメイト〟するのは、どちら側だろうか。