007シリーズの最高傑作  『007/ロシアから愛をこめて』 イアン・フレミング著/井上一夫訳

創元推理文庫

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 イアン・フレミングの007シリーズは長編12作、短編集2作が発表されたが、1957年に発表された本作品はその中でも最高傑作と言われ、また、J・F・ケネディ大統領の愛読書の一冊だったことでも有名である。

 最近、東側のスパイが相次いで摘発され、失策続きのソビエトの諜報機関は雪辱を晴らすため、報復措置として西側の重要スパイを抹殺することにした。実行役を命じられたのは、政府の対外スパイ抹殺機関〝スメルシュ〟の腕利き殺し屋であるドノヴァン・グラント。標的は007こと、ジェームズ・ボンドである。

 スメルシュはボンドの女好きを利用して、ソ連情報センターの暗号係員、タチアナ・ロマノーバという美女をおびき出し役に選んだ。彼女は英国秘密情報部の在トルコ支局へ接触し、自分は西側への亡命を希望しており、イギリスまでジェームズ・ボンドが護衛してくれたら、お礼代わりに暗号解読機を持ち出すと申し出た。英国秘密情報部はその話しに陰謀めいたものを感じながらも、相手の真意を探るため、ボンドをイスタンブールへ派遣する。現地で接触したボンドとタチアナはトルコを出国するため新婚旅行客を装い、空港はKGBに張り込まれているため、オリエント急行を利用することにした。イスタンブール、ベオグラード、ヴェネチア……国境を越えて西へ向かう豪華列車。しかし、そのどこかでグラントが待ち受けていた。

 映画の方もシリーズ最高の出来栄えで(我が国では1964年、「007 危機一発」というタイトルで上映)、タチアナを演じたダニエラ・ビアンキのセクシーなクールビューティーぶりが、その後のボンドガールの路線を方向付けたといわれている。

 ところで、スパイ小説を語るとき、セックスと暴力シーンが多い薄っぺらな活劇型スパイ小説を、よく「007のような」という表現で揶揄することがある。特にシリーズ化された映画によって、007はその印象が固まってしまった。しかし、小説、とりわけ初期の作品は意外と登場人物の背景や心理描写に筆が割かれ、映画とはかなり印象が異なる。本作品でも、映画では割愛されているスメルシュの最高会議の描写が秀逸。軍、KGB、外務省の各情報部門の責任者がスメルシュ長官に呼び出され、相次ぐ失策を責められる。相手や周りの顔色を窺いながら、自分の組織に責任が及ぶのを避けようとする各機関責任者たち。一方、恫喝することによって己の権威を見せつけようとする長官。官僚組織やそこに属する人物の醜さをカリカチュアライズさせたゴーゴリーの『検察官』や、オーウェルの『動物農場』などに匹敵する面白さがある。

 少なくとも本作品は、多くの人が007というスパイ小説に抱いているイメージを払拭させる傑作だといっても過言ではない。