ホワイトホールで勤務するSAS(陸軍特殊部隊)の軍人 『影の護衛』 キャビン・ライアル著/菊池 光訳

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 キャビン・ライアルといえば、何といっても『深夜プラス1』であろう。日本冒険小説協会の会長だった故内藤 陳が自身のバーに、その名前を冠するなど、多くの熱烈なファンを持つ冒険小説の名作である。そんなライアルが五年間の空白を置いた1980年、これまでとはガラリと作風を変えたスパイ小説を発表した。主人公はSAS(イギリス陸軍特殊部隊)に所属する陸軍少佐ハリイ・マクシム。

 マクシムが首相官邸の保安担当としてホワイトホール(我が国の霞が関の官庁街に相当)勤務を命じられて三日目に、官邸で爆破未遂事件が起こった。犯人の男は裁判を望んでおり、法廷の場で軍事評論家として高名なジョン・タイラーの秘密を暴露すると、マクシムに仄めかした。さらに、数日してチェコから亡命してきた女性スパイが、ソビエトがタイラーの秘密について書かれた手紙を躍起になって探していると語った。彼らはそれを元にタイラーに圧力をかけ、彼が議長を務める欧州の核戦略会議を阻止しようとしていたのだ。

 果たして、その手紙には何が書かれているのか? タイラーの過去を探るため、マクシムは軍人にとってバイブルのようなタイラーの名書『墓所の門』(第二次大戦当時、イギリス陸軍大尉だったタイラーが北アフリカで率いた砂漠挺身隊のことについて記した回想録)に登場するフランス陸軍の退役軍人を訪ねた。その退役軍人が語る砂漠の踏破行は、『影の護衛』の中でも最大の見どころだが、そこには、おぞましい悲劇が隠されていた。

 本作品の面白さは、野戦で生きてきた生粋の軍人が、上流階級の集うホワイトホールで勤務する〝違和感〟である。特に陰謀や高度な駆け引きが渦巻く諜報の世界では、マクシムのような男はお門違いであり、周囲も困惑していた。しかし、ホワイトホール勤めの官僚にはない抜群の行動力のおかげで、爆破未遂事件の犯人や、タイラーが宿泊するホテルに銃弾を撃ち込んだ男を捕まえることができたのである。そんなマクシムに周囲は一目置き、「われわれの愛すべき戦士」と呼んで、しだいに彼を仲間として認めるようになる。

 しかし、マクシムは決してマッチョ一辺倒の男ではない。妻を爆弾テロで失い、10歳の息子と二人暮らし。また、首相補佐官のジョージがMI5の才女、アグネスに語るように、彼は軍隊では、もう昇進する見込みがない、本流から外れたアウトローだったのだ。

 『深夜プラス1』のハーヴェイや、『もっとも危険なゲーム』のケアリなどにも通じる、優れた行動力を持ちながら、内面に暗い影を宿すストイックなアウトローの主人公。そこに読者は惹かれるのだろう。加えて、一見、マクシムを厄介者扱いしているようでいて、その実、彼の味方になっているジョージや、感情が高ぶると、べらんめえ口調になるアグネスなど、脇を固める人物たちも魅力的だ。シリーズ化されたのも、納得できる。