イデオロギーが宗教よりも勝る恐怖社会 『恐怖省』グレアム・グリーン著/野崎 孝訳

早川書房

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 戦時下のロンドン。戦争中であることを忘れさせるような、うららかなある日の午後、主人公のアーサー・ロウは、ある慈善団体が催していたバザーへぶらりと立ち寄った。抽選で引き当てたケーキを持ち帰ったその日の晩、見知らぬ男が彼のアパートを訪ねて来て、「ケーキを返してほしい」と言う。アーサーが男へ、お茶のおかわりを勧めるため台所からテーブルへ戻り、自分のカップの残りのお茶を飲むと、変な味がした。彼の記憶の底にある毒の味だ。実はアーサーには、不治の病に苦しむ妻を病苦から解放するため、毒薬を飲ませて安楽死させた暗い過去があったのだ。裁判では情状酌量により無罪となったが、妻を殺したことに間違いはなく、今もその贖罪を背負って生きていた。そんなアーサーにとって、たかがケーキ一つで、いとも簡単に人を殺そうとする、その男に強い憤りを覚えたが、ちょうどその時、ドイツ軍の空襲で轟音とともにアパートが崩れ落ち、その男は死んでしまう。幸いケガもなく助かったアーサーは、自分を殺してまでケーキを奪い返そうとした男が所属する慈善団体の謎を探るため、その団体の事務所を訪ねた。応対に出たのはオーストリアから亡命してきた若い兄妹、ヒルフェとアンナだった。ヒルフェは彼の話しに興味を覚え調査を手伝ってくれたが、いつしかアーサーはナチスのスパイ活動に巻き込まれていく。

 タイトルにある〝恐怖省〟とは何であろうか? それは国家の言いなりになるか、もしくは反逆者として検事局行きになるかの二社選択を迫る国家、即ちナチスのメタファーである。そうした国家では、「今では犯罪者という特別の種族なんかありません。(中略)オーストリアで……なんというか、そういうことをしそうもない人が、それをやるのをいっぱいこの目で見てきました。教養のある人、感じのよい人、晩餐の席で隣に座っていた人などがですよ」(野崎 孝訳)と、ヒルフェがアーサーに語っているように、イデオロギーによって、いとも簡単に人が人を殺す。直接、殺めなくても、ユダヤ人を当局に告発することも同じである。そこでは、恐怖や憎悪あるいは愛情から殺めることは、もはや〝古風な殺人〟であるというのだ。憐憫の情から妻を安楽死させた特異な経験を持つ人物が物語の主人公に据えられているのは、右に述べたことを際立たせるためであろうか。

 本作品は、戦時下のロンドンの市民生活の中に密かに巣くっていたナチスのスパイ(第五列)の恐怖を描いた、単なるスパイ・スリラーではない。カトリシズム精神を通して、人間の善と悪を見つめてきたグレアム・グリーンだからこそ看破し得た、当時(作品の発表は1943年)のヨーロッパを覆っていたナチスの脅威の底にある真の恐怖、即ちイデオロギーが宗教よりも勝る社会の恐怖を描いた作品なのである。