スパイとして祖国に戻って見たものは『技師クズネツォフの過去』ジェームズ・O・ジャクソン著/東江一紀訳

新潮文庫

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 ナチス・ドイツが崩壊した後、アメリカは早くもソビエトが次の敵になると予期し、工作員をソビエト領内に潜入させていた。工作員になったのは、ドイツ軍の捕虜になっていたソビエト軍兵士たちだった。なぜ彼らは祖国を裏切ってアメリカに協力したのか?

 太平洋戦争中の日本軍の戦陣訓に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱を受けず」という言葉があったが、ソビエトも、違う意味で―スターリンの異常なまでの猜疑心から―捕虜になることを許さない国だった。捕虜になったソビエト軍兵士は、祖国へ戻ると、NKVD(KGBの前身)から〝利敵協力者〟とみなされ、処刑にされた。それゆえ、連合軍によって解放されても、誰もが祖国へ帰りたがらなかった。しかし、捕虜に関する米ソの取り決めにより、殆どの者がベルリンのソビエト司令部に引き渡された。(そのため、絶望のあまり、自殺する者さえいた)ただし、語学に堪能な者や特殊な技能を持つ、ごく一部の者は工作員として協力することで、祖国への強制送還を免れることができた。ウクライナ生まれのマルムードフも、ウクライナ語が喋れることから、アメリカのスパイになった一人である。パラシュートでソビエト領内に潜入したマルムードフは、以後、クズネツォフと名乗って工場労働者として働き、四半世紀後には発電工場の主任技師になっていた。

 物語はマルムードフの幼少期、ソーニャとの出会いと新婚生活、兵役、捕虜生活という彼のこれまでの人生と、現在のクズネツォフとしての生活が交互に描かれている。中でも印象的なのは、アメリカからスパイ活動の打ち切り通告(それは彼にとって、本当の意味での解放だった)があった1948年、新婚時代を過ごしたレニングラードのアパートへソーニャに会いに行く場面だ。彼がそこで見たのは、再婚した妻と初めて見る娘の幸せそうな姿だったというくだりは、訳者(東江一紀)ならずとも「涙線をいたく刺激する」

 各章の巻頭に、マルムードフの出生証明書、結婚証明書、軍司令部からの出頭命令書などの公文書が付されており、一人の男の半生記という仕立てに効果を添えている。特に終章に付されているタス通信の記事と、モスクワにあるブティルカ刑務所の死刑執行報告書の感情を排した事務的な短い文章が、戦争によってスパイとして生きざるを得なかった一人の男の孤独な人生の哀しみを醸し出している。

 作者ジェームズ・O・ジャクソンは、西側で初めてゴルバチョフ大統領にインタビューしたことで知られるアメリカ人ジャーナリスト。巻末の解説によれば、デビュー作の本作品が1986年にアメリカで発表されたとき、「ロシアの土のにおいまで感じさせる並はずれた筆力」など、多くの書評誌で絶賛されたらしいが、日本では(1988年発行)、さほど注目されることはなかった。派手さはないが、深くて感動的な作品だけに残念である。