占領ドイツ軍司令部に潜むスパイ『抵抗の街』ピエール・ノール著/山口年臣訳

ハヤカワ・ポケット・ミステリ

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 昔、国語の教科書にドーテの『最後の授業』という作品が載っていた。普仏戦争に敗れたフランスは、ドイツと国境を接するアルザス地方を失い、学校でフランス語を教えることが禁じられた。フランス語教師のアルメ先生は最後の授業で「ある民族が奴隷になっても、その国語を保っているかぎりは、その牢獄のかぎを握っているようなものだから」(桜田 佐訳『月曜物語』岩波文庫に収載 )と生徒に語り、黒板に「フランスばんざい!」と大きく書いて教壇を降りる、胸打つ物語だった。(アルザス地方の母国語が必ずしもフランス語ではないことから、現在、この作品は教科書から消えている)今回、紹介する『抵抗の街』は、ドーテのこの物語を頭の片隅に置いて読むとよい。

 第一次大戦最中の19155月、フランスのサン=コランタン市にドイツ軍が進駐してきた。しかし、市民はドイツ軍に対して反抗的で、レジスタンス活動を繰り返していた。手を焼いた進駐軍司令のニューデルシュトフは、部下の一人でフランス語が達者なネネスをスパイとして抵抗組織に潜り込ませた。しかし、ほどなくしてネネスは死体となって発見される。数日後、総司令部の将軍が、いきなり前触れもなく進駐軍司令部へやって来て、ここから情報が敵側へ漏れていると苦々しい顔で告げた。そして、その原因を調べるため、総司令部のコンパルス中尉を進駐軍司令部へ派遣した。

 一見ぼんやりした感じだが、非常に頭の切れるコンパルスは細かい事実を拾い集め、司令部に潜むスパイを追い込んでいく。誇り高きプロシア貴族のニューデルシュトフ大佐、副官で冷静沈着なシュトローベルク大尉、市民を鞭で痛めつけるサディスティックなハイム上級中尉、彼の部下で生真面目なシュミット中尉、敬虔な従軍牧師のフッペンシュラハト……この中の誰がスパイなのか?

 本書は、194050年代にフランスで絶大な人気を誇ったスパイ小説作家のピエール・ノールが1937年に発表し、フランス冒険小説大賞を受賞した作品である。フランス人作家によるレジスタンス活動を扱った作品でありながら、ドイツ軍側の視点で描かれているところが異色である。それゆえ、ドイツ軍に追われる手に汗握る緊張感はないが、取り締まる側から描いたスパイ探し、即ちフーダニット型ミステリとしての面白さがある。

 ピエール・ノールは二つの世界大戦に参加し、特に第二次世界大戦中はナチス相手にレジスタンス活動を指揮した人物。階級社会である軍隊内部の的確な人物描写や、レジスタンス側の巧妙な暗号伝達方法の記述は、彼のそういった経験によるものであろう。

 ラスト数行の、この物語の犯人であるスパイの内面描写ドイツ人として振る舞うための葛藤は、ドーテの『最後の授業』とは違う形で、一つの国が敗戦によってアイデンティティを失ったことの辛さと、捲土重来を期す意志のようなものを感じさせる。