〝死んだライオン〟が意味するもの 『死んだライオン』 ミック・ヘロン著/田村義進訳

ハヤカワ文庫

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 英国防諜保安局(MI5)の落ちこぼれスパイが送られる<泥沼の家>の住人たちが、本部のエリートに一矢報いる『窓際のスパイ』(2010年)で多くの読者の支持を得たミック・ヘロン。彼の第二弾目の作品は、旧ソビエトのスパイが絡む王道のスパイ小説である。

 冷戦時代に自分をベルリンへ拉致したソビエト・スパイを偶然、ロンドンの通勤電車内で見かけたMI6の元スパイは、彼を尾行したが、その後、バスの中で亡くなっているところを発見された。座席にあった彼の携帯電話には〝蝉〟という言葉が残されていたが、それが何を意味するのか誰も分からなかった。ただ一人、<泥沼の家>のボス、ジャクソン・ラムを除いて。〝蝉〟はイギリスに潜入しているソビエトのスリーパーを指す言葉だった。

 一方、近くイギリスを訪問予定のロシアの大富豪、アルカディア・パシュキンのエスコート役を、<泥沼の家>のミン・ハーパーとルイーザ・ガイの二人が命じられた。命じたのはMI5本部に勤めるジェームズ・ウェブ。自分の出世のためなら、同僚をも平気で裏切る男だ。今回のパシュキンとの会合も、さらなる出世を目論む彼のスタンドプレーだった。

 一見、関係のなさそうなこの二つの出来事は、イングランド中央部にある絵ハガキに出てきそうな美しい村、コッツウォルズで秘かに計画されていた、ある陰謀で繋がっていた。

〝落ちこぼれスパイ〟と言っても、彼らは決して無能ではない。ほんの少し運が悪かっただけだ。訓練中のミスでロンドンの地下鉄駅を大混乱に陥れ、<泥沼の家>に送られたリヴァー・カートライトは、MI5の伝説的なスパイ・マスターだった祖父から聞いた、旧ソ連時代に、ある村で起きた出来ごとが、今回のスパイ事件の鍵になっている事に気づいた。手に汗握るアクションシーンもあり、前作に比べて、よりスパイ小説らしい。

 訳者「あとがき」によれば、タイトルの〝死んだライオン〟(原題はDEAD LIONS)とは、死んだライオンのふりをした子供をハンター役の子供が挑発し、もしライオンが笑ったり体を動かしたりしたら、ライオンの負けという遊びらしい。カンのいい読者なら、ライオンがスリーパーのメタファーであることに容易に想像がつくだろう。しかし、それなら作品のタイトルは〝眠ったライオン〟(「眠れる獅子」ではなく、文字通り生理的にSleepingしているライオンという意味)でもよさそうなものだ。作者がこの遊びをタイトルにしているのは、必ずしもライオンがスリーパーだけを暗示しているわけではないからだ。

 <泥沼の家>に迷い込んできた一匹のネコの目を通じて、この家の住人を紹介するオープニングと、ネズミの目を通じて、事件後の住人の様子を語るエンディングは、英国流のユーモアが利いて洒落ている。

 ミック・ヘロンはこの作品で、2013年のCWAゴールド・ダガー賞を受賞した。