落ちこぼれスパイたちのリベンジ『窓際のスパイ』ミック・ヘロン著/田村義進訳

ハヤカワ文庫

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 ロンドンの中心地から外れたフィンズベリー地区にある薄汚れた4階建てのビル。通称、<泥沼の家>は英国防諜保安局(MI5)の落ちこぼれスパイ(MI5の隠語で〝遅い(スロー・)(ホース)〟と呼ばれていた)が送られる窓際の部署である。

 ここに送られたのは、訓練中にヘマをやらかした者、周囲から嫌われているコンピュータおたく、地下鉄車内に機密文書を置き忘れた者、アル中で身を崩した者など、何らかの不祥事を起こして左遷された者たちだ。<泥沼の家>での仕事は、リージェンツ・パークにある本部の華やかな仕事とは無縁な、単調極まりない書類整理や入力作業などの雑務ばかり。かつて夢を抱いてMI5に入所した彼らに今あるのは失意と不満だけ。しかし、それでも辞める者はいない。いつか汚名を返上して、返り咲く希望を捨てていなかったからだ。

 そんなとき、イギリス全土を揺るがす事件が発生した。パキスタン系イギリス人の大学生が誘拐され、48時間以内に首を刎ねるというメッセージとともに、両手両足を縛られた映像がインターネットで流されたのだ。イスラムに反感を持つ極右グループの仕業だった。「かつて誇りに満ちた国が、外国の権益のために動く無節操な政治家たちによって堕落させられていくのを見かねた」(訳者)というのが彼らの主張だ。スパイ小説が時代を映す鏡であるならば、冷戦後の現代のスパイ小説は、近年、世界各国で台頭している反移民や反イスラムなどの排他主義やナショナリズムの動きを避けて語ることはできない。

 巧みな人物描写によって、<泥沼の家>の住人たち一人一人のキャラが立っているが、中でもこの家のボス、ジャクソン・ラムが魅力的だ。太鼓腹でシミだらけの服を着て、口汚く、所構わず屁をするだらしない男。しかし、冷戦時代、鉄のカーテンの向こう側で熾烈なスパイ戦を戦って生き残った本物の兵士だった。MI5ナンバーツーの女性、レディ・ダイの、大学生誘拐事件を利用した野心によって、<泥沼の家>がスケープゴードにされかけたとき、普段の彼とは別人のような凄みを見せて、彼女に立ち向かう。そして、それに呼応するかのように、〝遅い馬〟たちも動き出し、にわかに<泥沼の家>は活気づく。

 落ちこぼれ集団がエリート集団に立ち向かう物語は、スポーツドラマや学園ドラマでお馴染みだが、それをスパイの世界で描いたところに本作品の目新しさがある。落ちこぼれ連中がエリートたちへ一矢報いる様に、読者は溜飲が下がる思いをすることだろう。

 訳者「あとがき」によれば、本作品は2010年のCWA(英国推理作家協会)のスティールダガー賞にノミネートされ、続編となる『死んだライオン』で、作者のミック・ヘロンは見事、2013年のCWAのゴールド・ダガー賞を受賞した。