KGBの跡を継いだSVRの怖さ 『要秘匿』 カレン・クリーヴランド著/国弘喜美代訳

ハヤカワ文庫

画像をクリックするとAmazonの商品ページへ移ります。

 もし、あなたの愛する夫がスパイだったら?―本作品は元CIA分析官のカレン・クリーヴランドが自身の経験をもとに書いたスパイ小説である。2018年に発表されるや、多くの書評で絶賛され、映画化も決定しているという。

 米国内に潜入するロシアのスパイを摘発する任務に就くCIAの情報分析官ヴィヴィアンは、CIAが独自に開発したプログラムを使ってロシア工作員のコンピュータに侵入し、情報を探っていた。ある日、〝友〟という名前のファイルに夫であるマットの顔写真が載っていたのを発見し、衝撃を受ける。コンピュータ技師の夫はロシアのスパイなのか? 帰宅した彼女はマットに問いただした。「いつからロシアのために働いているの?」、「あなたは何者なの?」

 物語はヴィヴィアンの視点を通して進行する。もし、夫がスパイならCIA分析官として、彼を告発しなければならない。しかし、そんなことをしたら幼い四人の子供たちは、この先、スパイの子として後ろ指をさされて生きていくことになる。一人称形式の語りが、二つの思いの間で揺れ動く主人公の心理をよく伝えている。

 ところで、愛する夫がスパイだったら、という設定で思い出されるのがレジナルド・ヒルの『スパイの妻』(1980年)である。ある朝、まじめで優しい夫のサムが取るものもとりあえず慌てて家を出ていった。その後、やって来た英国秘密情報部の者から、サムはソビエトのスパイだと告げられる。この作品は夫がスパイだった妻のモーリーが受ける衝撃や戸惑い、および彼女に対する周囲の人々のそれぞれの思惑を描いたスパイ・ドラマだ。

 一方、『要秘匿』の主人公、ヴィヴィアンはCIAに勤める〝プロ〟の女性。プロであるがゆえ、ファイルを操作するなど積極的に打って出る。しかし、それが却って危険を招いてしまう。また、ヴィヴィアンは働きながら幼い子供を育てる母親でもある。子供がいない専業主婦のモーリーとの考え方や行動の違いを比較してみるのもおもしろいだろう。

 本作品でもう一つ特筆すべきことは、相手の弱みにつけ込んで要求を飲ませようとするロシア・スパイの脅しである。脅しはしだいにエスカレートし、ヴィヴィアンの子供たちにまで及んでくるあたりは、あたかも優れたサスペンス小説を読んでいるかのような怖さを感じる。

 訳者(国弘喜美代)「あとがき」によれば、米国内で暗躍するロシアのスパイの数は、冷戦時代より増えているという。スパイ小説の世界においても、KGBの跡を継いだSVR(ロシア対外情報庁)のスパイが主人公を脅かしている。しかも、その狡猾さはKGBに勝るとも劣らない。本作品もそんな一冊であり、最後の一行まで目が離せない。