陸軍情報部 VS MI6『鏡の国の戦争』ジョン・ル・カレ著/宇野利泰訳

ハヤカワ文庫

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 一つの国に複数の諜報機関が存在する場合、お互いに激しい対抗意識を燃やす。CIAとFBI、KGBとGRU(赤軍情報部)等々。特に功を焦っている方は、相手を出し抜こうと、スタンドプレーをしがちである。しかし、その結果は往々にして悲劇をもたらす。

 ソビエトが東ドイツのカルクシュタットという町に新型ミサイルを配備している、という情報を得たイギリス陸軍情報部は色めきたった。もし、確証を掴めば、近頃、サーカス(英国秘密情報部、いわゆるMI6)にお株を奪われ、存在感が薄れている陸軍情報部を盛り返すチャンスになる。しかし、証拠となるはずだった航空写真は、フィルムを受け取りに行った連絡員が殺害され、入手することに失敗する。そこで、陸軍情報部はカルクシュタットへ直接、スパイを潜入させることにした。オペレーション名は〝かげろう作戦〟。スカウトされたのは、戦時中、イギリス軍に協力していたライザーというポーランド人。秘密の隠れ家で戦時中さながらの猛訓練が始まり、陸軍情報部は久々に活気を取り戻す。そして、4週間後、彼らの期待を一身に背負って、ライザーは東ドイツへ潜入した。

 本書は、三作目に発表された『寒い国から帰ってきたスパイ』で一躍、名声を得たジョン・ル・カレが、1965年に発表した四作目の作品である。主要な舞台はジョージ・スマイリーが所属するMI6ではなく、陸軍情報部。タイトルの「鏡の国の戦争」とは、〝諜報〟という虚実入り交ざった迷宮の世界で行われる戦争を意味しているのであろうが、そこにはイギリス対ソビエトだけでなく、陸軍情報部対MI6による戦争(実際は陸軍情報部の独り相撲なのだが)も含まれている。

 鳴り物入りの〝かげろう作戦〟。しかし、ライザーの予想外の行動により、作戦は失敗に終わる。外交問題になることを危ぶんだイギリス政府は彼を救出せず、〝戦時方式〟即ち自力脱出を命じた。つまり「我が国はライザーなんて人物、知りません」というわけだ。

 訓練中、ライザーは教官から無線の送信は相手から場所を特定されるのを防ぐため、2分半以内で切るよう、くどいほど忠告を受けていた。それにもかかわらず、彼は敵地でそれを守らなかった。なぜ、忠告を無視したのだろうか? ライザーは訓練を受けている間、教官たちに自分が彼らの仲間であることをしきりに確認していた。敵地で孤立無援の状況におかれた彼は、無線を送信し続けることで情報部との繋がりを保つ、言い換えれば、それが自分もイギリス陸軍情報部の一員であることの唯一の拠り所だったのかもしれない。

 「仲間にさえはいれたら、たとえ歩兵(ふひょう)であろうとも」というルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』から引用されたエピグラフの一文が、筆者にはライザーの悲痛な叫びのように思えてならない。