2026.8.9 阿刀田高の小説が書店から消えている

 従来の日本の短編小説は、私小説に代表されるように人間のドロドロとした内面や情念、じっとりとした生活感を濃密に描く作品が主流であった。しかし、阿刀田高の作品はそうした感情を過度に掘り下げるような土着的な重さとは無縁であり、きわめてカラリとしたスマートな心地よさを読者に提供している。

 海外の短編小説のような洒落た雰囲気を醸し出す彼の作品は、ロアルド・ダール、サキ、オー・ヘンリーといった異国の名手たちを彷彿とさせる「奇妙な味」と、ラストに鮮やかな「オチ」を用意する巧みな構成が大きな魅力だ。

 都会の片隅や洗練されたバー、あるいは一見平穏な中産階級の日常のすぐ裏側に潜む狂気や歪みを、スタイリッシュな筆致でスリリングに炙り出す。1編あたり平均20~30ページという手頃なボリューム感は、通勤電車の移動時間や就寝前の読書にもうってつけであり、多くのファンに愛されてきた。

 かつては主要な出版社の文庫に必ず収められていた阿刀田作品だが、近年は書店の書棚で見かける機会が著しく減っている。2026年8月現在、店頭に並ぶのは集英社文庫の傑作短編集シリーズや新潮文庫の古典入門シリーズなど一部に限られ、かつて人気を博した数々の単独の文庫本は重版が止まり、品切れ状態が続いている。

 その理由として挙げられるのは、増えすぎた作品をテーマ別に再編したことや、書店の限られたスペースに合わせて確実に回転する傑作選へ絞り込んだこと、さらに今年91歳になる作者が小説の筆を置いたことなどである。しかし、真の理由はもっと深いところにあるのではないかと筆者は考えている。

 肩の凝らない「軽さ」こそが彼の作品の強みであるが、同時にそれが最大の弱みにもなっているのではないか。田山花袋の『蒲団』や志賀直哉の『暗夜行路』、松本清張のミステリーのように、嫉妬や裏切り、怨恨といった人間の暗くジメジメした負の感情を深く掘り下げた古典的名作は、時代を超えて現代の我々にも普遍的な共感を呼び起こし、書棚から消えることがない。

 これに対して、阿刀田作品には読者が我がことのように捉えて共感するような、ドロドロとした人間の情念の深掘りがない。そもそも読者は彼の作品にそうしたジメジメした人間の業などを求めていない。それゆえに、時代の移り変わりとともに書店から阿刀田高の作品が消えていくのは、ある種の必然と言えるかもしれない。

2026.7.5 プーチンはスパイを大切にする

 2026年6月17日付の朝日新聞GLOBEに「スパイ大国ロシア」という見出しで、プーチン政権と対立した政治家やジャーナリストたちが次々とプーチンが差し向けたスパイ(工作員)によって暗殺されていることが書いてあった。

 例えば、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ(2006年10月 アパートのエレベーター内で射殺)、KGBの後継組織であるFSBの元将校アレクサンドル・リトビネンコ(2006年11月 ポロニウムによる毒殺)、チェチェン独立派の元司令官ゼリムハン・ハンゴシビリ(2019年8月 ベルリンの公園で射殺)、反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイ(2024年2月 北極圏内の牢獄で毒殺)、近いところではプーチンを痛烈に風刺してきたロシア出身の亡命画家セミヨン・スクレペツキー等々が犠牲になっている。

 2021年に家族とともにポーランドへ亡命したセミヨンは、今年の6月15日にベラルーシ国境に近い都市ビャワポドラスカの駐車場で白昼に銃撃を受けて死亡した。目撃者や警察によると、犯人は同氏を狙って拳銃を3発発砲した後、倒れた同氏に近づいてさらに2発を撃ち込んでとどめを刺したという。先に述べたハンゴシビリも同じようにとどめの1発を頭に撃ち込まれており、いずれもその筋のプロの仕業であることを物語っている。

 ハンゴシビリを暗殺したのはクラシコフというFSBの工作員で、彼は捕らえられても口を割らなかったが、ベルリンの裁判所は彼に終身刑を言い渡した。しかし、ロシア政府は一貫して彼の身柄の引き渡しを要求し続け、2024年8月の身柄交換によって帰還が実現した。そのときプーチンは自ら彼を空港で出迎え、その忠誠を称えたという。
 一国の元首が一工作員を空港まで出迎えに行くというのは異例なことだ。プーチンがそれを行ったのは、彼もスパイだったからだろう。少年時代にスパイに憧れ、KGBに入ったプーチンはスパイ(組織)にシンパシーを抱いており、沈黙を守り通したクラシコフに敬意を表したのだ。

 「国家が工作員に対して、たとえ何年かかろうが『我々は必ず救い出す』という強い姿勢を示して安心させることにより、汚れた仕事を引き受ける者が見つかり、万一捕まってしまっても、いずれ助けられると思えば、その工作員は自白を拒む」とロシアの情報機関に詳しい専門家のマーク・ガレオッティはGLOBEの取材記者に語っている。

 他国で摘発された工作員は、政府から関係を否定され見捨てられることが一般的だ。もし、プーチンが元首でなかったら、クラシコフも見捨てられていたであろう。

 政敵を暗殺し、いまだにウクライナへの攻撃を続けるプーチンに対して何ら汲むところはないが、不安と孤独の中で暮らし、しばしば使い捨てにされるスパイを大切にする姿勢だけは評価してもよい。

2026.6.13 66歳の誕生日に想う

 本日は筆者の66回目の誕生日である。66歳になって想うことは「この先、一体いつまで元気でいられるのだろうか」という問いである。幸いなことに、逆流性食道炎と過敏性大腸症候群で時々悩まされているものの、それ以外には特に体の不調はない。仕事も、ありがたいことに、この歳になっても同じ職場で働かせてもらっている。

 しかし、健康で活動的に動けるのは、おそらくあと10年ほどだろう。そう考えると、この間にやりたいことをやっておかなければと思うのだが、いざ「それは何か」と問うてみても、明確な答えが見つからない。夜、床に就いて頭によぎるのは、楽しかった過去の記憶ばかりで、やりたいことは思い浮かばない。

 カーネル・サンダースは66歳でフライドチキンのフランチャイズビジネスを成功させ、伊能忠敬も66歳の時に『東日本全図』を完成させている。翻って自分自身の場合、仕事に対してそこまで情熱はない。かといって、完全に引退したいわけでもない。現在、「再々雇用」という立場で働いているが、できれば、それの上限年齢である68歳まで働きたいという程度の思いだ。

 仕事以外では、かつて筆者は「スパイ小説に関する本を上梓する」という大きな夢を抱いていた。出版エージェントに依頼までしたが、市場の需要は薄く、手を挙げる出版社はなかった。高額な自費出版を行う気にもなれず、現在は『スパイ小説の世界』というウェブサイトを開設している。「いつか出版関係者の目に留まるかも」という甘い夢はとうに捨てた。今はただ、自分の「存在証明」として、このサイトを維持しているに過ぎない。

 『日の名残り』や『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』に登場する主人公たちのように、人生の終盤に「死ぬまでに、もう一度だけでも会っておきたい」と切望するようなドラマチックな女性の存在も、残念ながら筆者にはいない。

 結局、今の筆者にとって「やりたい夢」はなく、週末の土曜日にスターバックスで、コーヒーを飲みながら本を読むことくらいしか楽しみはない。ゴルフは1年以上レッスンに通うが、いまだに120前後で行き詰まっており、こんな成績では心から楽しいとは思えない。また、7歳と2歳の可愛い孫たちとの時間も愛おしいが、それだけが人生のすべてかと言われれば、どこか違う気がする。

 今夜、妻と息子が筆者の誕生日を祝うために、イタリアンレストランで食事の席を設けてくれている。家族に祝ってもらえるのは本当にありがたく、客観的に見れば十分に幸せなことだ。しかし、本当にそれだけで満足して良いのだろうか。この先、何の夢も抱かないまま、ただ淡々と日々を消化するように暮らすだけで良いのだろうか。

 66回目の誕生日にそんなことを想った。

2026.5.4 みやこめっせ古書即売会2026

 昨日、ゴールデンウィークの恒例イベント、京都市勧業館〝みやこめっせ〟で開催されている春の古書大即売会(第44回)に行ってきた。

 昨年同様、文庫本とハヤカワポケミスに的を絞って、順番に書棚を覗いていく。今年は開館時間の10時に会場入りしたので、13時すぎには一通り見終えるとこができた。

 従って、もう一度、会場へ戻って来る必要もなく、ゆっくりと昼食を取ることができるので、岡崎にある「権太呂」という蕎麦屋でにしん蕎麦を食べた。その後、同じ通りを少し西に下ったところにある、これも毎年になったが、少し気難しそうなマスターのいる喫茶店「MIKA」でコーヒーを飲んだ。この店のメニュー表に店での禁止事項として、大声で会話すること、居眠り、2時間以上の滞在、勉強、パソコン操作、商談等が記載されていた。私の隣席にいた紳士がペンを持って書類に目を通していたところ、それが勉強行為とみなされたのか、接客係りをしているマスターの奥さんとおぼしき老女に、丁寧な物腰ながら、注意されていた。こういう堅苦しい禁止事項があるためか、インバウンドや若者たちは来ず、お客は中高年だけなので、店内は非常に静かで、ありがたい。しかし、食後に本(今はジョン・ル・カレの『影の巡礼者』)を読んでいると、つい瞼が重くなってくるので、寝ないようしているのが少々辛かった。 小一時間ほど滞在した後、三条まで歩きて行き、「BOOK-OFF三条店」で本を二冊買った。

 この時点で16時。せっかく京都まで来たので、スターバックスやタリーズコーヒーなどの、どこにでもあるチェーン店ではなく、河原町にある名曲喫茶「築地」へ行き、名物のウィンナーコーヒーとケーキを食べた。しかし、ネットでかなり告知されているためか、客は予想に反して若者が多かったし、座らされた席が入口近くでざわざわしていたので残念だった。五時に店を出て、帰路に就いた。

 さて、今年の即売会で買ったのは、以下の通りである。

・『ある詩人への挽歌』(マイクル・イネス)…「江戸川乱歩が非常に読みごたえのある重厚な作品として世界ミステリのベスト5に挙げた」という惹句に惹かれて購入

・『その子を殺すな』(ノエル・カレフ)…パリ警視庁賞受賞作というので購入

・『影の顔』(ボワロ&ナルスジャック)…ボワロ&ナルスジャックの作品で、まだ読んでいなかったので購入

・『悪魔のようなあなた』(ルイ・C・トーマ)…「意識が戻ったら、結婚した覚えがないのに妻と称する女がいる!」というシチュエーションに惹かれたて購入したのだが、家に帰って書棚を見ると、2021年に一度読んだことがある作品だった。

・『推理小説はアルキメディスにはじまる』(ブレイトン・ホヴェイダ)…ミステリ評論であるが、スパイ小説に関する事項が充実しているので購入

一方、BOOK-OFF三条店で買ったのは、以下の通りである。

・『第五の日に帰って行った男』(フリーマントル)…「亡命」をモチーフにし、「国を裏切り、おのれも裏切られていくスパイたちの孤独と悲哀に彩られた生と死のドラマ」という惹句に惹かれて購入

・『豊臣家の人々』(司馬遼太郎)…先日、NHKで放送されていた、司馬遼太郎の作品について語り合う「菜の花弔シンポジウム」で取り上げられていた作品なので購入

2026.4.12 泣ける小説

 最近〝泣ける小説〟に嵌っている。きっかけは、山田太一の『異人たちとの夏』。ホラー小説のブックガイド(『怖い話名著88』朝宮運河著)の中で、「両親とすき焼きの名店・今半を訪れるシーンは、涙なしには見られません」と大林宣彦監督の映画版についてコメントしていたので、原作本を読んでみた。小説を読んで泣くことはめったにないが(それは泣けるような小説をこれまで読んでこなかったことにもよる)、小説の方も、しだいにぼやけて消えいく両親との別離のこの場面で、やはり涙が出そうになった。

 映画を観たり、小説を読んだりして泣くと不思議と気持ちがよい。それは泣くことによって心身がリラックスし、ストレスから解放され、カタルシスを感じるからだという。ストレスの発散ならユーモア小説も効果がありそうだが、「笑う」ことよりも「泣く」ことの方が、一回あたりのストレス解消効果は高いそうだ。

 『異人たちとの夏』の次は、レイチェル・ジョイスの『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』(定年退職した65歳の男が、元同僚の女性が死に瀕しているという手紙を受け取り、1000キロの道を歩いて会いに行く物語)を読んだ。これの映画が上映されていたとき(2025年の春頃)に観に行くべきだったと非常に後悔している。

 浅田次郎の『天国までの百マイル』(事業に失敗し、家族も失った主人公が、心臓病で倒れた母を救うため、オンボロ車に母を乗せて、天才外科医がいるという、とある病院を目指す物語)に登場する主人公の恋人マリが書き残した置手紙には思わず涙がこぼれる。

 ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』(知的障害を持つ32歳の青年が、脳外科手術で天才的な知能を得るも、やがて副作用で急速に退行するという過酷な運命を日記形式[経過報告]で綴った物語)の、これまで世話になった先生や教師に別れを告げ、元の施設へ戻っていくラスト数ページは涙なしに読めなかった。

 今は角田光代の『八日目の蝉』(不倫相手の赤ん坊を衝動的に奪って「薫」と名付け、自分の子として4年間、育てる逃亡劇)を読んでするところである。

 さらに、その後は、偶然、ネット検索で知ったミッチ・アルボムの『もう一日 for one more day』(人生に挫折し自殺を試みた主人公が、死んだ母親と一日再会する物語)を読む予定である。

 泣ける小説にはカタルシスが味わえるという効用の他、ミステリー、スパイ小説、歴史小説ばかり読んでいた筆者にとって、読むことがなかったであろう名作(『アルジャーノンに花束を』や『八日目の蝉』など)に出会えるという効用もある。

2026.3.20 本に線を引く

 筆者は本によく線を引く。読んでいて重要だと思った箇所、覚えておきたいフレーズ、共鳴した文章などに出会うと、マーカーやボールペンなどでそこに線を引いている。

 なぜ線を引くのか。原点は中学生の頃の試験勉強だろう。教科書や参考書を読んでいるだけでは、なかなか頭に入りづらい。しかし、自らの手を動かして大事な個所に赤エンピツ(今では化石のような存在だ)やマーカーで線を引くと、その箇所が強調されるとともに、線を引くという身体的な行為によって、頭への定着を手助けていたのだ。

 それから五十年以上経った今でも、本だけではなく、ホームページやメールの文章を読むときも同様だ。パソコンの光る画面上の文字はどうにも上滑りしてしまい、頭に入りにくい。そのため、本当に頭に入れたいときは、そのページをわざわざプリントアウトし、それに線を引いている。アナログ人間の悲しい性だが、パソコン画面の文章が頭に入りにくいことは科学的にも根拠があるそうだ。

 世の中には筆者と同じような習性をもつ人がいるもので、古本(又は古書)を読んでいると、前の読者が引いた線や書き込みに出会うことが時たまある。かつて、この本を所有していた人も、ある文章で心を動かされ、思わずペンを走らせたのだろう。その文章が筆者にとって、さほど重要に思えないときは、「へー、前の読者はこういうことに心を動かされたのか」と、それはそれで興味深い。逆に筆者も同じように心を動かされる文章だった場合、前の読者と同じ価値観を共有しているようで嬉しくなる。――本に引かれた線を通じて、筆者は顔も知らない前の読者と対話しているのだ。

 翻訳家でエッセイストでもある青山 南氏は1984年にニューヨークで小説家のピート・ハミルに会ったとき、ユードラ・ウェルティ(主にミシシッピ州を舞台に、人々の繊細な心理や生活を詩的な文章で描いたアメリカの女流作家)の発言集を貰った。本を開くと、あちらこちらに黄色のマーカーで線が引いてあった。本そのものは「ウェルティの本」だが、ハミルが線を引いた箇所を拾っていくと、「ウルティの本で作ったハミルの本」ということにもなる。線を引くことは、線を引きながら、別の本を作っているのだと、著書『本は眺めたり触ったりするのが楽しい』(ちくま文庫)の中で述べている。

 ここまでいくと、本に引かれた線は、もはや作品そのものといえよう。

2026.2.8 松本清張を読む

 正月明けから松本清張に関する本を立て続けに読んだ。

 『松本清張の昭和』(酒井信/講談社現代新書)は、極貧の幼少期から国民作家へと至った松本清張の全生涯を記した〝初の本格評伝〟とも呼ぶべき一冊。彼の長い下積み生活がいかにして数々の作品へ結実したかを読み解くことができる。

 『松本清張の深層心理 隠された潜在メッセージ』(藤脇邦夫/幻冬舎)は、原作小説と映像化作品の比較によって、原作小説だけでは読み取れなかった松本清張の知られざる創作心理の深部を掘り起こす一冊。特に『霧の旗』にページが割かれているが、この作品が仏映画の『眼には眼を』から着想を得ていたという分析は興味深い。

 ところで、こうした作品批評に関する本を読む場合、対象になっている作品を読んでいないとお話にならないので、『松本清張の深層心理』を読む前に、未読だった『霧の旗』と『疑惑』を読んだ。『霧の旗』は女性ヒロインものというイメージがあって読んでいなかったのだが、今回、初めて読んでみて、その面白に堪能した。食わず嫌いは損をするとは正にこのことだ。

 『松本清張と水上勉』(藤井淑禎/筑摩選書)は、ともに社会派ミステリー作家として出発したという共通部分がある松本清張と水上勉のその後の二人の人生と、それが作品にどのように結実したかを記した一冊。私は、水上勉の作品は『飢餓海峡』(この作品も面白かった)しか本でいないので、主に清張について書かれたページを拾って読んだ。中でも面白かったのは、川端康成の『伊豆の踊子』と清張の『天城越え』の比較。前者の主人公は旧制一高の学生という高等遊民。後者の主人公は小学校卒で印刷屋の丁稚奉公をしている少年。高等遊民のうじうじした内省的な物語よりも、登場人物に娼婦が出てきて殺人事件も起こる後者の方に、断然、惹かれる。

 松本清張の最大の功績は、ミステリーをトリック偏重の非現実的な〝見世物小屋〟(清張の言葉)から、現実の社会構造や人間の業(動機)を深く描くことで〝大人の鑑賞〟に堪える文芸作品に仕立てたことである。だからこそ、多くの人が清張作品に惹かれるのであろう。この先も松本清張の作品は読まれ続けるのだろうか?

 清張の多くの作品に描かれている世界は、1950年代後半から1960年代にかけての高度経済成長期にあった昭和の日本社会である。インターネットやSNSなどはなかった。しかし、人間の持つ嫉妬、欲望、怨恨などのドロドロした感情は当時も今も変わらない。それゆえ、この先も清張作品は多くの人に読まれ続けていくに違いない。

2026.1.12 無事これ名車

 今年の干支は午(うま)。馬にまつわる諺や名言は数多くあるが、筆者は菊池寛の造語といわれている「無事これ名馬」という言葉が気に入っている。

 意味は、能力が多少劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬が名馬である、というもの。馬は現代の社会においては、さしずめ車であろう。菊池寛のこの言葉で譬えるなら、故障も事故もなく走る車が、即ち無事これ名車である。

 筆者が初めて手にした車は、大学2年生のときに近所の自動車販売店から19万円で購入した49年式の30系カローラのハードトップ。色はタークグリーン。大学時代と共に過ごした正に〝相棒〟といえる車だった。この車で友人たちと色々なとこへドライブをしたし、初めて女の子とキスしたのもこの車の中だった。

 二台目の車は、社会人になってしばらくしてから、同じ職場の人から購入したセリカXX。黒のボディと6気筒エンジンのロングノーズで押し出しがきいた車だった。当時の職場は、今のような残業規制もなく、連日、深夜近くまで残業していたので、職場仲間は、この車のことを「残上手当で買った車」と揶揄していたものだ。

 三代目の車は、新婚時代に乗っていたカリーナのセダン。白色のクリーンな外観で、クセもなく万人受けのする車だった。

 子供が生まれると、もう少し荷室の大きな車が欲しくなり、当時、ステーション・ワゴンがブームだったこともあり、カルディナを四代目の車として購入した。色は看板カラーのダークフォレストトーニング(ボディの上部がダークグリーンで、下部がグレーのツートンカラー)。この車には10年近く乗った。

 五代目は、東京の単身赴任生活から戻ってきた2001年に購入したヴォクシー。色はシルバー。スライドドアと三列シートの有難みを経験すると、ファミリーで乗る場合は、もうこれなしでは考えられない。この車は2025年まで、実に20年以上も乗った。

 そして、六代目は2025.11.3付のブログで紹介しているホンダ・フリード。色はシーベッドブルー。綺麗な色だが、夜間は見えにくいので、シルバーにしておけば良かったかなと、思わないでもない。何もなければ、おそらく、否、間違いなくこの車が筆者の人生の最後の車になるだろう。

 これまで乗ってきた、どの車も大きな故障や事故(多少のトラブルはあったが)がなかったので、冒頭の譬えでいうなら、いずれも筆者にとって名車である。人生最後の車となるであろうフリードも名車であってほしい。

2025.12.31 2025年マイベスト本

 今年は1月13日に読了したエリカ・ルース・ノイバウァーの『豪華客船オリンピア号の殺人』を皮切りに、12月29日に読了した『阿刀田高のサミング・アップ』まで、計35冊の本を読んだ。

 さて、今年も恒例、この一年間で読んだ本のマイベスト10を紹介する。

・10位『日本海軍 失敗の本質』 戸高一成(PHP新書)

・9位  『ゾルゲ事件 80年目の真実』名越健郎(文春新書)

・8位 『Uボート・コマンダー』 ペーター・クレーマー(ハヤカワ文庫)

・7位 『Uボート 出撃せよ』 アレクサンドル・コルガノフ(ハヤカワ文庫)

・6位 『本能寺の変 431年目の真実』 明智憲三郎(文芸社文庫)

・5位 『阿刀田高のサミング・アップ』 阿刀田高(新潮文庫)

・4位 『松本清張の女たち』 酒井順子(新潮社)

・3位 『声』 アーナデュル・インドリダソン(創元推理文庫)

・2位 『イギリス人の患者』 マイケル・オンダーチェ(創元文芸文庫)

・1位 『スパイたちの遺灰』 マシュー・リチャードソン(ハーパーBOOKS)

 『日本海軍 失敗の本質』は、大和ミュージアムの館長を務める著者が日本海軍が敗れた敗因を各海戦ごとに解説した本。名将・山本五十六といえども判断ミスを犯したのが印象に残る。▼リヒャルト・ゾルゲに関する書物は多いが、『ゾルゲ事件 80年目の真実』は、新書ながら、これ一冊で彼についての全てが分かる本である。▼『Uボート・コマンダー』は、絶体絶命の死地から幾度も生還し、〝生命保険〟の異名をとったUボート艦長が自らの体験を描いた戦記。▼『Uボート 出撃せよ』は、イギリス海軍が誇る戦艦ロイヤル・オークを撃沈させたUボート艦長の英雄、ギュンター・プリーン海軍大尉を主人公としたドキュメンタリー小説。詳細は2025年9月7日付のブログ「潜水艦に関する本」を参照されたい。▼本能寺の変が起こった背景については諸説粉々あるが、本書はそれらを一つ一つ見ていき、明智光秀が織田信長を撃った真の理由を探ろうとする一冊。▼『阿刀田高のサミング・アップ』は、文庫版が発行された1993年6月に一度読んでいるが、今回、32年ぶりに読み返した。同じテーマをショートショートで描いた場合と短編小説にした場合、テレビドラマ化された作品と脚本、読者のエッセーをプロの作家が書いた場合等の比較が、創作に関心ある者にとっては実に興味深い。▼松本清張に関する書籍は数多くあるが、『松本清張の女たち』は、〝女〟を切り口にして紐解いている点が目新しい。▼『声』は、ミステリ小説でありかながら、一人の男の栄光、悲劇、転落、死を描いて深みがある。▼『イギリス人の患者』は、ブッカー賞を受賞しただけでなく、歴代ブッカー賞のベスト作品にも選ばれた珠玉の一冊。静かだが、どこかミステリアスな味わいのある作品である。▼2026年の栄えあるベスト1である『スパイたちの遺灰』は、ヨーロッパを舞台とした久々のスパイ小説らしいスパイ小説。本ホームページの「作品書評リスト」でも取り挙げているので、詳細はそちらを参照されたい。

2025.11.3 最近の車について

 20年以上乗っていた我が家のトヨタ・ヴォクシーがかなり痛んできたので、この9月に新しい車に乗り換えた。乗り換えた新しい車はホンダのフリード。

 家の駐車場は狭いので、後席の扉を外に広げなくても開け閉めできるスライドドアは大変便利だ。また、時々、義母や孫を乗せるので、天井が高くて開口部の広い車の方が乗り降りも楽にできる。もう若くないので車にカッコ良さや速さなどは求めていない。重視するのは機能性や利便性だ。

 子どもたちが独立し、普段は妻だけを乗せるので、後継の車はヴォクシーでは大きすぎる。そうかと言って、軽自動車ではパワーが足りない。たまに孫たち家族が遊びに来た時に4人しか乗れないのは不便だ。普段は4人乗りだが、いざというときに6~7人が乗ることができる小ぶりなミニバンとなると、選択肢はトヨタのシエンタかホンダのフリードしかない。前者は3気筒エンジンであり、奇をてらった外観も好きになれない。4気筒エンジンで スクウェアなフォルムのフリードを選んだ。

 さて、納車されて2カ月になるが昭和世代には戸惑うことが多い。今まで駐車中にFMラジオを聴いたり、テレビを見たりする場合、バッテリーがあがるのを防ぐため、アイドリングしていたが、ハイブリッド車は駐車しているときに全くエンジン音がしないので、不安になる。(賢いもので、バッテリー量が足りなくなると、自動的にエンジンがかかる)また、シートベルトを着用していないと発進できないようになっている。シートベルトの非着用による重大な事故の危険性を減らすための安全措置であるか、家の駐車場で車を少し前後させるときもシートベルトを着用せねばならず、少し面倒くさい。薄暮や夜間に無灯火で走行するのを防ぐため、走りだすとヘッドライトが自動的に点灯するようになっている。しかし、渋滞中のノロノロ運転のときも点灯している。そんなときはウィンカーレバーについているヘッドライトのスイッチを都度都度OFFにすればよいのが、それなら昔の車のように初めから手動でライトをON/OFFするようになっている方がよい。

 その他、Honda SENSINGという機能により、誤発進抑制、後方誤発進抑制、ブレーキ踏み間違い衝突軽減システム等々、至れり尽くせりの安全対策が施されている。そういう事故が(特に高齢ドライバーには)多いので、それを防ぐために設けられたものであるが、逆にこういのに頼っていると運転技術が退化してしまうのではないかと危惧する。極端なことをいうと、オートマ車も同様で、人間、楽をすると、ついボーっとしてしまい、また逆に咄嗟の場合、アクセルとブレーキの踏み間違いを起こしてしまうのだ。その点、マニュアル車は渋滞時や坂道発進のときに面倒であるが、手と足(しかも、アクセルとクラッチを同時に調整)を忙しく動かさねばならないので、ボーっとする間はないし、アクセルとブレーキを踏み間違うこともない。

 スタートボタンを押して、シフトレバーをドライブモードに入れてペダルを踏むと、フリードは音もなくスっと発進する。快適であるが、車を運転しているという感覚ではない。まさに移動モービルである。

 イグニッションキーを回して、クククという咳こんだ音の後にエンジンが始動し、クラッチを踏んで、シフトレバーをニュートラルから一速に入れ、クラッチをゆっくり戻しながら、同時にアクセルを踏んで車を発進させる……独身時代に乗っていたマニュアル車のアナログチックな手順が懐かしい。