2025.7.13 スパイは既に潜伏している

 イスラエルが6月13日にイラン各地の核関連施設や軍事拠点を標的にした大規模な攻撃を行ったことが新聞等で報じられていた。

 6月15日付の朝日新聞によれば、イラン国内に潜伏していたモサドの工作員がミサイル拠点の周辺に特殊装置を設置し、その装置に誘導された無人機(爆発物を搭載)によってイランの弾道ミサイル発射装置を狙撃。また、空爆と並行して地上での特殊作戦でレーダー施設なども破壊した。これらの攻撃によってイランの反撃能力を削いだ後、イラン革命防衛隊幹部や核開発に携わる科学者がいる場所を次々とピンポイントで空爆し、殺害している。

 このことは何を物語っているのだろうか。イスラエル国家安全保障研究所のシマ・シャイン上級研究員は標的に対する情報収集のため「モサド工作員の潜伏など、準備に数年の時間がかかった」(朝日新聞)と語っている。

 この数年の間、イスラエルとイランは、少なくとも表面上、争いはなかった。しかし、イスラエルにとって核を保有するイランは潜在的な脅威。イランへ工作員を潜入させることはイスラエルにとって国家存続のため不可欠だが、両国の間が険悪になってから潜入させるのは困難である。このため、相手国の警戒レベルが比較的低い時期から密かに工作員(スパイ)を潜入させ、情報収集を行い、あるいはXデーに備えて準備してきたのだ。

 こうした敵国の組織(政府、軍隊、諜報機関など)へ潜入し、その組織内の機密情報を密かに自国へ伝えるスパイのことを「モグラ(又はモール)」と呼ぶ。また、敵国へ潜入し、本国からの指示があるまで、一般市民として普通に暮らし(即ち、眠っている)、指示をきっかけに眠りから目覚め、破壊工作や暗殺を行うスパイを「スリーパー」という。イランの核施設や軍事施設へイスラエルのモグラやスリーパーが、かなり以前から潜入していたのである。

 これは他の国々においても同じである。ウクライナに多くのロシア側のモグラやスリーパーが潜入していることは想像に難くないが、ウクライナ側もロシアに潜入させているはず。西側諸国のウクライナへの支援が低調になっている現在、ウクライナはロシアに押され気味だが、たまにウクライナがロシア領内の施設を爆破させたというニュースを聞く。その陰にはロシアに潜入しているウクライナのモグラやスリーパーの暗躍があるのだ。

 欧州共同体の国々にとっても、彼らは決して認めないだろうが、例えばフランスの情報機関内にドイツのスパイが潜り込んでいるし、その逆もしかりである。確かに、かつてヒトラーがフランスを攻め込んだようなことは、戦後のドイツにおいはてあり得ないことだろう。しかし、攻め入る意志はなくとも、近隣諸国の内部にスパイを潜り込ませて情報を探ることは国の安全保障上、欠かすことができない。

 翻って我が国はどうであろうか。〝スパイ天国〟(スパイが潜入しやすい、潜入しても命の危険は極めて低いとう意味)と揶揄される日本には、ロシア、中国、北朝鮮のスパイだけでなく、同盟国のアメリカのスパイまでもが潜入している。しかし、それは昨日今日に始まったことではない。我々が気づく(ほとんどは気づきもしない)ずっと前から、彼らは我が国の主要な機関へ既に浸透しているのだ。

2025.6.17 長嶋茂雄 逝く

 2025年6月3日、長嶋茂雄が亡くなった。享年89歳。言わずと知れた球界を代表するスーパースターである。

 屈託のない明るい性格、華麗なるプレーで、これほど国民に愛された野球選手はいないだろう。「ジャイアンツは嫌いだが、長嶋は好きだ」という人も多い。

 長嶋が亡くなった直後、各テレビ番組で彼と縁があった野球選手たちが長嶋の想い出を語っていた。野球のプレーは勿論のこと、野球に対する姿勢も超一流だが、一方、日常生活では、チョッと抜けていたところもあり、聴く者を微笑ませる。

 相手の名前を間違えることは日常茶飯事。アメリカに到着したとき「外車が多いなぁ」と呟いたというエピソード。監督時代、選手を鼓舞する時、「決してあきらめるな! 人生はギブアップだ」と言ったエピソード。極めつけは、息子の一茂と一緒に後楽園球場へ野球観戦に出かけた長嶋は試合に夢中になり、息子を球場に置き忘れて帰ったというエピソード…等々、この種の長嶋伝説は尽きない。

 しかし、こうしたお惚け、天然ぶりだけでは、人は長嶋をこれほど愛するものではない。会った人を虜にするオーラ―があったのだろう。表裏のない真っすぐな性格、何事に対しても前向きで一生懸命な姿勢、そして、その一生懸命さから出る言動が相手を感激させるのである。

 例えば、6月8日の「サンデーモーニング」で放送していた張本勲の想い出――1976年に日本ハムから巨人に移籍した張本が巨人に加入する際に長嶋から言われた「オレの代わりをやってくれ」という一言。「ON」砲の片翼を欠いた巨人では、王貞治に対する他球団からのマークが集中していた。そのため、自分(=長嶋)の代わりの役割を期待して放った言葉であるが、それが張本をいたく感激させた。決して長嶋は、これを言ったら相手は喜ぶだろうなどと計算して言ったわけではない。この時も、王とタッグを組む主砲が真に欲しかったことから発した言葉なのだ。

 このブログでスパイは人たらしであることを度々述べている。(2022.7.24付「高倉健とスパイ」、2023.5.7 付「スパイとしても一流だった坂本龍馬」、2024.9.1付「スパイは人たらし」など)

 万人に好かれた長嶋茂雄も一流のスパイになれたのか? 答えは否(ノン)である。長嶋は人に好かれたが、決して〝人たらし〟ではなかった。人たらしとは、本来「人を騙すこと」、「人を欺く」という意味から分かるように、どちらかというと策(気配りも含む)を弄して、人を惹きつけることが上手な人というニュアンスがある。そういう意味において長嶋は決して人たらしではない。自分で意識しなくても、自然に振舞った言動が、結果として相手を惹きつけたである。

 それに、これだけ多くの天然ボケのエピソードを持つ人物が、一つのミスが命取りになるような不安と緊張の連続であるスパイ稼業が務まるわけがない。と言うか、そもそも長嶋茂雄は嘘をつくことができない人物だ。だからこそ、皆、彼のことを愛したのである。

2025.5.5 今年も、みやこめっせの古書即売会

 今年のゴールデンウィーク(5月4日)も、京都市勧業館〝みやこめっせ〟で開催されている春の古書大即売会に行ってきた。

 11時半に会場へ到着。昨年の経験から、文庫本に的を絞って、順番に各店の書棚を見ていく。一通り見終わったら13時半だったので、昼食を食べに行く。昨年はどこ店も観光客で混んでいたため、会場前でワゴン販売していたオニギリを買って、近くのベンチで食べたので、今年もそのつもりだった。しかし、二条通りを少し歩いたところにあるお好み焼き屋に待つこともなく入ることができた。昨年に比べて観光客が若干、少なかったことや、お昼時を少し過ぎていた時間帯もよかったのだろう。イカ玉とビール(小ジョッキ)を頼んだ。

 昼食後、再び会場へ戻る。文庫本は見終わって、欲しい本は購入済みなので、今度は主に海外文学の単行本を見ていく。各店の書棚を見ると、映画に関する古書が多いことにあらためて気づかされた。そういえば、他の古書会なども、映画に関する本が多い。

 結局、単行本では目ぼしい本がなかたので、3時に会場を跡にする。疲れたので、昨年も入った、少し気難しそうなマスターが経営している喫茶店でコーヒーとアップルケーキを食べた。知らない間に、うたた寝していたら、マスターに起こされた(やはり、気難しいマスターだった)ので、時計を見ると4時。店を出て帰路に就いた。

 結局、今年の即売会で買ったのは、以下の三冊(全て文庫本)である。

・アルノー・ド・ポルシュラーヴ&ロバート・モスの『スパイク』(ハヤカワ文庫)。マスコミによる情報操作を扱った、これまでにはないタイプのスパイ小説である。

・『風味豊かな犯罪』(創元推理文庫)は、一冊で本格推理、ハードボイルド、警察小説、スリラーサスペンス、スパイ小説が楽しめるアンソロジー集

・佐藤泰志の『海炭市叙景』(小学館文庫)は、過去に一度読んだことがあり、深い感動を覚えた文学である。

2025.4.6 息抜きに何をしますか

 4月5日付の朝日新聞・be on Saturdayで取り上げていた読者ランキング(be Ranking !!)のテーマは「息抜きに何をしますか」(回答者2548人。複数回答あり)

 第1位は「コーヒーやお茶を飲む」(1870票)、第2位は「テレビを見る」(1356票)、第3位は「散歩する」(1037票)、第4位は「本や雑誌、漫画を読む」(1003票)、第5位は「睡眠をとる、昼寝する」(936票)だった。

 筆者にとって土曜日に職場近くのお気に入りのスターバックスで本を読むのが至福のひと時であり、何よりの息抜きである。これだけで第1位と第4位の息抜きを行っていることになる。いやいや、それだけではない。スマホに保存しているお気に入りの楽曲をイヤホンで聴きながら、本を読んでいる。読書に飽きたらスマホでネットを見るし、目が疲れたら、ぼけーっとして、知らぬ間に寝ていることもある。お腹が空いたら、コーヒーをおかわりしてクッキーなどのデザートをつまむこともある。つまり、スターバックスで本を読むことで、第7位の「音楽を聴く」(858票)、第18位の「ネットサーフィンする」(404票)、第14位の「何もしないでぼけーっとする」(492票)、第5位の「睡眠をとる、昼寝する」(936票)、第9位の「おやつをつまむ」(820票)など8つの息抜きを無意識に実践しているのだ。

 読者ランキングには、この他にも、第8位の「クイズやパズルを解く」(850票)、第10位の「お酒、アルコールを飲む」(730票)、第12位の「適度な運動をする」(624票)、第13位の「入浴する」(577票)など、なるほどと思う息抜き方法があがっていた。番外編として面白かったのは、「夫は息抜きにとドライブに誘ってくれる。定年後、毎日お家にいるあなたが一人でお出かけしてくれる方が私の息抜きになるのよ!」という東京都在住の女性(68歳)の答え。思わず頬が緩む。

 この年齢の女性にとって、夫の存在はストレスであり、中には夫源病(夫の言動が原因でストレスが溜まり、妻の心身に不調をきたすこと)を患う主婦もいる。筆者の妻も、夕食後、筆者に早く自分の部屋へ引き上げてほしいようなことを言う。筆者がいつまでもグスグスと食卓に居続けると、好きなテレビも楽しめないらしい。

 しかし、それは夫にとっても同じこと。コーヒーを飲みながら本を読むことは家にいてもできる。しかし、家にいると、四六時中、妻のから小言を聞かされてストレスが溜まる。だから、筆者は、仕事が忙しいと言い訳して、週末にも係わらず。わざわざ電車に乗って職場近くのお気に入りのスターバックスへ行くのだ。

2025.3.9 書店の文庫本の並べ方

 書店の文庫本の書棚を見ると、たいてい出版社別に並べられている。しかし、蔦屋書店や個性的な街の本屋など、出版社を問わず作者別に並べている書店もある。どちらがよいのだろうか?

 出版社別の書棚は、作者を五十音に並べているので、探している本が見つかりやすいというのが最大の長所。また、書店にとって、売れ筋の本や補充が必要な本が一目で分かるので管理がしやすい。さらに出版社ごとに表紙や背表紙のデザインや色が決められているので、同じ丈・色の本が並び、書棚に統一感がある。

 一方、作者別の書棚は、好きな作家のまだ読んでいない作品を探すのに好都合だ。また、大型書店と違って、棚や本の数に限りがある小さな書店にとって、品揃えの少なさをカバーできることもメリットである。さらにセレクトショップの場合、どの作家のどの本を置くかなど、経営者の個性を出すこともできるだろう。しかし、これらの長所は見方を変えると、サイズや色がバラバラの本が同じ書棚に並び、統一感に欠けるという短所にもなる。

 出版社別と作者別、それぞれ一長一短がある。筆者の場合、探している本が明確な場合(出版社も分かっていれば尚更)、出版社別に並べられている書店へ行く。特に松本清張の作品の場合、棚差しプレートの「ま」行を探さなくても、新潮文庫なら赤色の背表紙、文春文庫なら黒色の背表紙を目当てに、すぐに清張の作品の前に行くことができる。

 一方、作者別の書棚は好きな作家のまだ読んでいない作品を求める場合は勿論だが、翻訳作品、特に複数の出版社から出ているような世界的な名作(例えば、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』やオーウェルの『動物農場』など)を買い求める場合、出版社によって翻訳者が異なるので、その場で読み比べて、最も自分にしっくりするものを買うことができる。

 『動物農場』は岩波文庫、角川文庫、ハヤカワ文庫、ちくま文庫から出版されているが、筆者には 高畠文夫の翻訳が最も読みやすかったので、角川文庫でこの作品を読んだ。

2025.2.16 映画「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」

 公開中の「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」(2023年、ドイツ・オーストリア・スイス・イギリス合作映画)を観た。

 1940年8月のベルリン。金髪でアーリア人のような容姿をもつ18歳のステラ・ゴルトシュラークはアメリカに渡ってジャズシンガーになることを夢見ていた。しかし、彼女はユダヤ人だったため、それは叶わない夢だった。3年後、軍需工場で強制労働を強いられていたが、ユダヤ人向けの偽造身分証を販売するロルフと出会い、恋に落ちる。同胞や家族が隠れて生活する中、二人は、ユダヤ人の窮状を利用して、偽造した身分証を手配していた。しかし、そのことが発覚し、ゲシュタポに逮捕される。〝死の工場〟と噂されているアウシュヴィッツへ移送されるのを免れるため、ステラはゲシュタポに協力して、ベルリンに隠れているユダヤ人逮捕に協力した。終戦後、生き残るために同胞を裏切ったステラは、ナチスへの協力者として裁判にかけられる……。

 映画のラストで「彼女は加害者であるとともに、被害者でもある」というテロップが流れる。なるほど、同胞を裏切らなければ生き残れない状況は確かに悲劇である。もし、ナチスによるホロコーストがなければ、否、ステラがアメリカに移住できていたなら、同胞を裏切ることはなかったであろう。しかし、いくらそうした悲劇的な状況であっても、自分の親しい人や友人たちを裏切ることができるであろうか? 単に〝裏切った〟のではなく、積極的に同胞を〝売って〟いたのだ。(だから、彼女は同胞から〝Blonde Poison〔金髪の毒婦〕〟や〝Blonde Lorelei〔金髪の魔女〕〟と呼ばれていた)

 もし、筆者が彼女の立場だったら、同胞を売るくらいなら死を選ぶであろう。そんなことをして一日を永らえたとしても、自責の念で苦しまなければならない。それに、そこまでして、当時のユダヤ人が置かれた状況の下で生きたいとは思わない。しかし、そう思うのは、結婚して子ども独立し、孫もいる、もうすぐ65歳を迎える筆者にとって、人生にそんなに思い残すことはないからであろうか? もし、彼女と同じような人生がこれからという18歳だったら、果てして現在と同じ思いを抱くであろうか? ……いや、それでも、やはり筆者なら裏切らない。

2025.1.12 巳年に想う

 今年の干支は巳。蛇は脱皮して成長することから、巳年は〝変化の年〟と言われている。しかし、今年65歳になる身として、ことさら変えたいものはないし、また長年の習慣から、そう簡単に変われるものではない。身の周りのことについても、あまり変わってほしくないというのが正直な気持ちである。

 それでも、世の中は次々と変わっていく。買い物一つとっても、セルフレジやスマホ決裁。二十代の息子は当たり前のように行っているが、昭和生まれの筆者には戸惑うことばかり。家電製品の設定に関してサポートセンターへ問い合わせようとしても、チャットへ誘導され、すんなりとオペレーターと直接、電話で対話することができない。

 コスト削減のため、あらゆる場面で人が減らされていく。自分が若かった頃のような人との対面販売が当たり前だった時代が無性に懐かしい。筆者のように、世の中の変化についていけない人は、この先どうなるのだろうか。

 その点、蛇は環境に合わせて変化した究極の生き物であろう。草藪や地中を移動するのに脚は邪魔になることから退化して、あのような姿になった。なるほど、脚を残したトカゲに比べて草藪をスムーズに移動することができるだろう。その代わり失ったものもある。これは人間だけが思うことであるが、脚をなくした代償として、あのグロテスクで気味が悪い姿になってしまった。その結果、「蛇蝎」という言葉が象徴しているように、蛇は忌み嫌われる存在になってしまったのである。

 反対に、かつて地球上を支配していた恐竜は、環境の変化に対応できずに滅んでしまった。しかし、滅んでしまったがゆえに、後世の我々にロマンを掻き立ててくれる存在になっている。忌み嫌われるよりも、よっぽど良いではないか。

 変化することを全て拒絶しているのではない。しかし、「不易流行」という言葉があるように、いくら環境が変わっても、変えてはならないこともあるのである。

2024.12.31 2024年のベスト本

 2024年は1月8日に読了したグレアム・グリーンの『スタンブール特急』を皮切りに、12月29日に読了したヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』まで、計38冊の本を読んだ。

 さて、今年もこの一年間で読んだ本のベスト10をつくってみた。下記がそのリストである。

・10位『詐欺師×スパイ×ジェントルマン』 鱸一成(幻冬舎ルネッサンス)

・9位 『シルバービュー荘にて』 ジョン・ル・カレ(ハヤカワ文庫)

・8位 『タタール人の砂漠』 ディーノ・ブッツァーティ(岩波文庫)

・7位 『小説8050』 林真理子(新潮文庫)

・6位 『64(ロクヨン)』 横山秀夫(文春文庫)

・5位 『春にして君を離れ』 アガサ・クリスティ(ハヤカワ文庫)

・4位  『二人の妻を持つ男』 パトリック・クェンティン(創元推理文庫)

・3位 『殺意』 フランシス・アイルズ(創元推理文庫)

・2位『クロイドン発12時30分』 F.W.クロフツ(創元推理文庫)

・1位『キム・フィルビー』 ベン・マッキンタイア (中公文庫)

 『詐欺師×スパイ×ジェントルマン』は、スパイ小説を論じた自費出版本である。同じようにスパイ小説論を書いている身として、これ以上、興味ある本はなく、迷うことなくその場で買い求めた。ジョン・ル・カレのスマイリー三部冊(『ティンカー、テイラー、ソルジャー・スパイ』、『スクールボーイ閣下』も『スマイリーと仲間たち』)を例に、サラリーマン社会を切り口にして解くジョージ・スマイリー論は、サラリーマンだった筆者ならではのユニークな論評だ。▼『シルバービュー荘にて』は、ジョン・ル・カレの遺作。詳細は『スパイ小説の世界』(作品書評の「裏切り」というカテゴリー)に掲載しているので、そちらを参照されたい。▼『タタール人の砂漠』は、辺境の砦でいつ来襲するか分からない敵を待ち続ける主人公の緊張と不安を描いたカフカ的な作品。〝タタール人〟というキーワードと幻想的なカバーイラストに惹かれて買った。▼『小説8050』は、80代の親がひきこもり状態にある50代の子の生活を支える「8050問題」を描いたもの。林真理子といえば、かつてベストセラーになった『ルンルンを買っておうちに帰ろう』に代表される明るくユーモアタッチの作品を描く作家というイメージがあったが、この小説は現在の我が国が抱える社会問題に真っ向から向き合ったシリアスな作品だ。▼『64(ロクヨン)』は、ミステリー界を席捲した警察小説の最高傑作といわれるものなので、一度は読んでおこうと思った。これまでの警察小説では取り上げられたことのなかった刑事部VS警務部という組織内の対立を描いた点が斬新である。▼『春にして君を離れ』は、ポアロもマープルも登場しないばかりか、殺人事件すら起こらないアガサ・クリスティがメアリー・ウェストマコット名義で書いた作品。優しい夫、良き子供に恵まれ満ち足りた身の主人公が、旅の途中で、これまでの家族との会話を思い起こし、自分は「誰からも好かれていないどころか、全員に疎まれている」(『名作なんて、こわくない』柚木麻子)ことに気づく〝怖い〟作品である。▼『二人の妻を持つ男』は、社長の娘と結婚し幸福な生活を送っていた主人公が、ある日、偶然、別れた妻と再会した日から、すべてが狂い始め、ついに殺人事件が起こるサスペンス小説の傑作。結末は意外性に富んでいると同時に物悲しい。▼3位の『殺意』と2位の『クロイドン発12時30分』は、ともに倒叙推理小説の二大古典名作。この二冊も一度は読んでおきたかった作品。フレンチ警部の粘り強い捜査によって、犯人の鉄壁なアリバイを論理的に崩していく後者品の方が筆者には面白かった。◆キム・フィルビーを取り上げた書籍は数多く出されているが、ベン・マッキンタイアーの『キム・フィルビー』は彼の「人となりや性格、これまで詳しく論じられることのなかった、いかにもイギリス人らしい人間関係がテーマ」(本書はしがき)となっているところに特色がある。9月1日付のブログで、スパイは人たらしであることを書いているが、キム・フィルビーの〝人たらし〟ぶりがどんなものであるかを本書は余すことなく記している。

 現在、筆者の年齢は64歳。元気で本が読めるのも、後、20年はないだろう。昨年末のブログで書いたように、それならば新作に手を出すより、名作や傑作としての評価が定まっている作品を読もうという思いから、今年はミステリーの古典的名作と言われる作品を意識的に読んだ。案にたがわず、期待外れの作品はなかった。2025年も引き続きこの方針を踏襲するが、さて、第一作目は何から読もうか。

2024.11.10 トランプ氏再選の根底にあるもの

 今回のアメリカ大統領選でドナルド・トランプ氏が再選された。選挙前の大方の予想は民主党のハリス氏との大接戦だったが、蓋を開けてみると、誰の眼にもトランプ氏の勝利が明らかな結果に終わった。

 なぜアメリカ国民はトランプ氏を選んだのか。バイデン政権下での長引く物価高と不法移民への不満がトランプ票へ投じさせたというのがマスコミの見立てであるが、ハリス氏が「黒人」であり、かつ「女性」であったことも無視することはできない。アメリカ大統領は、オバマ氏という例外はあったものの、建国以来、一貫して白人であることが不文律であるかのような「白人至上」が根強く残っている。有色人種が大統領になるのは極めて難しい。そして、かつてヒラリー・クリントンが阻まれ、今回も突き破ることができなかった〝ガラスの天井〟という女性を阻む見えない障壁が最後にハリス氏の前に立ちはだかった。ヨーロッパでは女性の首脳も活躍しているというのに、アメリカで、それが実現しないのは、アメリカが開拓の国だからであろう。開拓時代からのDNAである「正義は自分の力で守る」という国民性がガンマンのような強くて男らしい指導者を好む傾向を生んでいるのだ。

 アメリカだけに限らず、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、イスラエルのネタニヤフ首相、北朝鮮の金正恩総書記など、主な世界各国の指導者は、皆「強さ」を体現した人物である。

 「強さ」を体現する指導者は大衆に好まれる。人はなぜ強いリーダーに惹かれるのか? おそらく動物として本能からだろう。ボス猿は群れに外敵が迫った時に身を張って戦い、オオカミのリーダーも率先して獲物を追いかける……群れで暮らす動物のリーダーは自分たちの安全を守り、食べ物にありつかせてくれる頼れる存在なのだ。人間社会においても、特に生命が脅かされているような社会では、ボス的人物がリーダーになる傾向が強い。こうしたリーダーは往々にして好戦的で独裁的な人物であるが、国民にとっては、自分たちの安全と生活を保障してくれれば、それで構わない。民主主義を希求するのは、余裕のある成熟した社会でなればこそなのだ。アメリカ国民は生命を脅かされているわけではないが、トランプ氏は「不法移民にアメリカが侵食されている」、「外国資本に国内産業が乗っ取られる」と不安を煽り、それらを外敵と見立てて脅威の幻想を抱かせ、それに立ち向かう強いリーダーたる自分のイメージを植え付けたのだ。

 トランプ氏の勝因の根底には、人間を含めた万物の動物に共通する、〝強いボスに惹かれる〟という本能があると思う。

2024.10.14 映画「プライベート・ライアン」

 過去の名作映画を映画館の大スクリーンで上映する「午前十時の映画祭」。今回は1998年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」を観た。公開当時、筆者は東京に単身赴任しており、日曜の朝、新宿の映画館でこの作品を観たことを覚えている。

 1944年6月、連合軍によるノルマンディー上陸作戦。海岸でドイツ軍の激しい機銃掃射を受け、手足を吹き飛ばされ、炎に包まれる連合軍の兵士たち。血しぶきが飛び散り、海水は血の色に染まる。まるで戦場に放り込まれたような圧倒的な臨場感は、映画館ならではものだ。

 何とか上陸に成功したミラー大尉の部隊は、息つく間もなく、前線で行方不明になったライアン二等兵の救出命令を受ける。ライアン家は4人の息子のうち3人が相次いで戦死しており、軍上層部は末っ子のライアンだけでも故郷の母親の元へ帰還させようと考えたのだ。ミラー大尉と彼が選んだ7人の兵士たちは、1人の兵士を救うために、命が危険にさらされるフランス内陸部へと向う……。 

 途中、何人かが命を落とすが、ついにミラー達は、ある橋の袂でライアンを見つける。しかし、ライアンは仲間を置いて自分一人だけ帰還することを拒んだ。このため、ミラー達はライアンらと共に少ない兵力でドイツ軍の戦車を迎え撃つことにした。しだいに近づいてくる戦車の地響きが映画館の床を震わすかのような迫力である。やはり、この映画は映画館で観るべき作品なのだ。

 激しい戦闘により、ミラー大尉は胸に銃弾を受ける。そばにいたライアンに対して、ミラー大尉は息も絶え絶えに「無駄にするな。しっかり生きろ」と言い残して亡くなる。

 「無駄にするな」とは、言うまでもなく、ライアンを救出するために命を落とした兵士たちのことである。彼らの命を無駄にしないように、一所懸命に生きろとミラー大尉は言い残したのだ。

 震災や飛行機事故などで、多数が亡くなる中、奇跡的に助かる人がいる。生と死は紙一重。正に神様の思し召しとしか言いようがない。おそらく、助かった人たちは、自分の命は「神様に活かされた命」、そして「亡くなった人たちの分も頑張って生きよう」と思うに違いない。

 翻って筆者の場合はどうだろうか? 幸いにして、誰かの代わりに自分だけが助かるような非情な経験はないが、それでも今日まで大きな不幸に見舞われることもなくやって来られたのも、神様の思し召しであろう。自分はそれに応えるため、しっかり生きてきただろうか? 映画を観て、あらためて、そんなことを思った。