従来の日本の短編小説は、私小説に代表されるように人間のドロドロとした内面や情念、じっとりとした生活感を濃密に描く作品が主流であった。しかし、阿刀田高の作品はそうした感情を過度に掘り下げるような土着的な重さとは無縁であり、きわめてカラリとしたスマートな心地よさを読者に提供している。
海外の短編小説のような洒落た雰囲気を醸し出す彼の作品は、ロアルド・ダール、サキ、オー・ヘンリーといった異国の名手たちを彷彿とさせる「奇妙な味」と、ラストに鮮やかな「オチ」を用意する巧みな構成が大きな魅力だ。
都会の片隅や洗練されたバー、あるいは一見平穏な中産階級の日常のすぐ裏側に潜む狂気や歪みを、スタイリッシュな筆致でスリリングに炙り出す。1編あたり平均20~30ページという手頃なボリューム感は、通勤電車の移動時間や就寝前の読書にもうってつけであり、多くのファンに愛されてきた。
かつては主要な出版社の文庫に必ず収められていた阿刀田作品だが、近年は書店の書棚で見かける機会が著しく減っている。2026年8月現在、店頭に並ぶのは集英社文庫の傑作短編集シリーズや新潮文庫の古典入門シリーズなど一部に限られ、かつて人気を博した数々の単独の文庫本は重版が止まり、品切れ状態が続いている。
その理由として挙げられるのは、増えすぎた作品をテーマ別に再編したことや、書店の限られたスペースに合わせて確実に回転する傑作選へ絞り込んだこと、さらに今年91歳になる作者が小説の筆を置いたことなどである。しかし、真の理由はもっと深いところにあるのではないかと筆者は考えている。
肩の凝らない「軽さ」こそが彼の作品の強みであるが、同時にそれが最大の弱みにもなっているのではないか。田山花袋の『蒲団』や志賀直哉の『暗夜行路』、松本清張のミステリーのように、嫉妬や裏切り、怨恨といった人間の暗くジメジメした負の感情を深く掘り下げた古典的名作は、時代を超えて現代の我々にも普遍的な共感を呼び起こし、書棚から消えることがない。
これに対して、阿刀田作品には読者が我がことのように捉えて共感するような、ドロドロとした人間の情念の深掘りがない。そもそも読者は彼の作品にそうしたジメジメした人間の業などを求めていない。それゆえに、時代の移り変わりとともに書店から阿刀田高の作品が消えていくのは、ある種の必然と言えるかもしれない。